社会の生きづらさ。鈍感力と繊細力(HSP)な関係。

仕事・キャリア

一昔前に鈍感力なんてキーワードが流行った気がします。多分ベストセラーか何かのタイトルだったと思うのだけど、その辺はうろ覚えではありますが。

だからここで言う鈍感力が、一般的なものと同等かどうかはわからないけど、つまり何を言われても動じない図太さといったところでしょうか。

平たく言えば、図太くなりたいといっているんですが、これはおそらく一生無理なので、どのように付き合っていくかが重要ということになります。

鈍感力を持つ人は身近にいる

ただ厄介なのは、この鈍感力を持つ人は結構な比率でいて、またその人達は他の人も同様に鈍感力を持っていると思いこんでいることが厄介です。そりゃ鈍感なぐらいですから。

こういう人達は、他者への扱いが扱いがぞんざいなのです。このぞんざい攻撃を受ける側になるとかなり厳しい。鈍感の反対は繊細なので、むしろ鈍感力を持たない繊細人は、鈍感力の攻撃をもろに受けてしまうわけです。

結論としては、SNS同様に距離を置くしかないわけですが、社会において可能な場面ばかりでないことが厄介です。

そして最近にわかに注目されだしたのがこの繊細人の生き方ガイド。そう、こんな繊細な我々も一種の障害?人種?というわけで認知されたわけです。これは結構に大きい。HSP(Highly Sensitive Person)というらしいです

このHSPというのは特徴としては大きな音が苦手だったり、起きてしまったことをくよくよしたり。傍から見たら何をくよくよしてんだ、と思うわけですが、これは立派な?特性として社会が認知し始めたというだけでも、またそれを自分で言語化し、認識できるというだけでもだいぶ違うなと思う次第です。

生きづらさの回避のためには、承認欲求社会SNSからは距離を置く

じゃあどうするかって、やはりHSPには距離と自分の時間・空間が必要。まぁ物理的、社会的に無理な場合はもちろんありますが、一日30分でも10mでも違うのではと思います。

あとSNSとの距離感というのも重要。そもそも人は人から認められたい生き物なわけで、FacebookだったりInstagramでのアピールはそこに見えてきています。そして人はそこに依存するわけです。

私にもそこそこに承認欲求はありますが、むしろアピールすることと、それが形式すること(Insta映えする写真撮らなきゃ!みたいな)が面倒になるので、むしろそういったところからは距離をおいています。そういう意味ではまだマシでしょうか。

この場合、それらのツールから得られる承認はないものの、同様に発生しうる面倒臭さとか、アンチ的な意見に耳を傾けなくて済むわけです。個人レベルではアンチはそこまで発生しませんが、それを意識すること自体が苦痛。

ちなみにではブログはとなると、文章なのでそれを読む人には一定数のフィルタがかかりますし、書く側も誤解ないように文章を構成するのでオススメです。そして何より吐き出すこと、書くことで自らの思考を確認できることが何より良いと感じます。

とまぁまだまだ色々ありますが今日はこの辺にしておきましょう。

 


タイトルとURLをコピーしました