隣の人は違う生き物だと知る

仕事・キャリア

あまりのボスの横暴っぷりに舌を巻いている。ただ横暴というのが、いわゆる暴れん坊将軍というのではなく、良かれと人の首を絞めるタイプなので質が悪い。精神を削ってくる。

人は生まれながらに異なる性質を持っている

さて、ここでボスの愚痴を言ったところで、気分が良くなるわけではないので、私のかわいい娘たちの話をしよう。控えめに言って可愛い。芸能人、モデルのような表面的な可愛さを言っているんじゃない。愛嬌だ。人間愛嬌が全てである。

娘は上が小1、下がもうすぐ3歳の二人。この二人が面白い様に性格が違う。

上の子は同じことを集中してやることは少ないが、多くのことに興味を持つ。自分が何かをしていても、隣で同じことをしている人が気になってしょうがない。そして食いしん坊である

下の子は自分ルールが確立されていて、それをやり遂げないと気がすまない。そのルールから少しでも外れると泣き叫ぶ。何かで遊んでいても、一人で黙々とそれを続ける。食いしん坊ではない

もちろん体型、運動神経なども違い、これは最早違う生き物なのだと感じることが多い。同じ親で同じ生活環境で(もちろん生まれたタイミングが違うので、厳密には環境は違うのだが)、ここまで違うのかと思うと、持って生まれた性質というのは凄いなと思わざるを得ない。

自分の性質を知ること

この性質という情報はきちんと残しておくべきだと最近感じている。というのも、大人の世界では得意なことも不得意なことも、とりあえず平均点を取るように教育されてしまう。

私はあまり細かい仕事が得意ではないのだと自覚しているが、それでも平均点を取る自信はある。同様に運動神経もそれほど良くないのだが、練習さえ積めばできないことはそれほどないと思う。

これは一面としては良いことなのかも知れないが、結果として知らず知らずのうちに、自らのストレスとなる環境に自ら身をおいてしまう。悲劇だ。細かい仕事は細かい仕事が好きな人がすればいいし、その逆もまた然りだ。

言葉にするのは胸の中だけにする

ただ一つ気をつけないといけないのは、「私はこういう人間です」「あなたはこういう人間です」とレッテルを貼ること。例えば上の子供に、「あなたは集中力がないから」と言ってしまうと、少なからずあった集中力までどこかに言ってしまう。

最悪、そんなことは全然なかったのに、そういう人間が出来上がってしまう。これは絶対に避けなければいけない。私自身も、自分が細かい仕事が好きではないという事実はあるが、それを口に出すことは避ける。目の前の仕事をただ淡々とこなす。それがうまく行くか行かないかは結果で判断すれば良い。

いつかどこかでそっと教えてあげよう。

だから私はどこか子供がその性質で困ることがないように、ある時、どこかでそっと、子供の頃の話をしてあげようかなと思っている。

その時は私の感情はできるだけ抑えて、こういう事実・事象があったんだと、いうことをできるだけ客観的に伝えていきたい。

そういうことは結構大人にならないと意識しない気がするんだけど、例えば高校生とか、将来を見据えだしたときにそういう情報が少しあると違うような気がする。

ただ繰り返すがレッテル貼りはだめなので、どう説明するかが難しいところ。恐らく一回の会話で済む話ではなく、日々のコミュニケーションで伝えていくべきことなのかも知れない。

ボスにもその悪癖を教えてあげたい今日このごろ。

 

子育てにも通づる所はあるね


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