先日子供とショッピングモールへ子供靴を買いに。靴売り場の横には巨大なおもちゃ売り場があり、いくつも無料で遊べるようにおもちゃが開放してあった。
勿論こどもは靴なんてそっちのけでおもちゃに向かう。当たり前の光景。
おもちゃ売り場という苦行。子供は欲望の扱いを知らない
アンパンマンに、トーマス、プラレール。私も知らないキャラクターなどごまんとあり、同じキャラクターモノでも違う形状、新しい遊び方のおもちゃが所狭しと並ぶ。
子供は奇声をあげ、没頭して遊び出す。
ただ程なくして少し子供が可哀想になる。
子供は自分で自分の欲を制御できない。
一つのおもちゃに飽きても、隣にはおもちゃ、そのまた隣には新しいおもちゃ。
公園だったら知らない子が来たら興味津々なのに、ここではそんな素振り微塵も見せず新しいおもちゃ探しをしている。
おもちゃ売り場の使命は親に金を出させること。
しかも子供には無料開放されたおもちゃかどうかは関係がない。
そのうち封に包まれた商品を手に取り、これで遊びたいと叫び出す。上手いこと注意を無料開放されているものに促し事なきを得る。
ただこれで買わされている親も一杯いて、買わないまでも遊具の100円、200円、がちゃがちゃの300円。
そこかしこに課金ゲームの如く(課金ゲームやったことないけど)アイテム補充のチャンスあり。
そう我々は欲望リミッターが切れた子供という存在を、その欲望の対象たるおもちゃの渦の中に放り込んでいるんだ。
そして時間が来たら泣こうが、叫ぼうが、問答無用で連れて行く。こんな情け容赦ない仕打ちもない。
大人だって欲望を制御出来ないのに、子供には厳しい仕打ちをするなんて
デパ地下で惣菜を物色。隣のフロアには色とりどりのお菓子が食欲を誘う。上の階に行けば、電気屋で新しい電化製品が並べられていて、ファッションフロアには新しいデザインの服が所狭し。
別の場所ではそれが本かもしれないし、課金ゲームのアイテムかもしれない。
ただ大人である我々は、それがコストに見合うのか、おサイフの余裕と話し合う頭、理性を持ち合わせている。
でも往々にして、大人だってそれがぶっ壊れてて、クレジットカードでとりあえず凌いだり、借金までして買ってしまう者だっている。
要は大人だって刺激だらけのそんな環境にいたら正常な判断なんて出来ないのだ。
目の前にうず高く積まれた商品群から一つを探すなんて苦行を子供に押し付けるおもちゃ売り場の、なんと厳しいことか。
子供は公園が大好きだ。
止めなければ1時間、2時間平気で遊ぶ。
滑り台、滑り台とは言うが、5回、10回やったら他の遊びをしだす。そのうち砂場に行き、友達が鉄棒に行けば鉄棒に走り出す。そしてまたすべり台へ。これを繰り返す。
だがそれにしたって、そのうち飽きてくる。公園それ自体が面白い、つまらないということではない。
そこに集まってくる友達が楽しいんだ。
そこで生まれる何かを期待しているんだ。
何かが足りない時は親にその役割を求めるし、虫を見つけ、木の枝を見つけ出す。
公園はあそびの器。
子供には器だけあげれば後は勝手におもしろそうなアイテムを見つけてくる。
何事も自分で考える余地があるぐらいがいい
大人は肝に銘じなきゃいけない。
- 色で、音で、あらゆる刺激でこどもの欲望に訴えかけるおもちゃ売り場は大人が行くべきところ。
- おもちゃ売り場は、おもちゃを売る場所であって、遊ぶ場所ではないということ。
- 遊ぶ場所はおもいっきり遊べる場所であること(これはダメ、あれは良しみたいな制限がない)
- 遊ぶ場所では親が伸び伸びと子供を放置する。(もちろん安全に気を遣うとかは当たり前)
思えばおもちゃがこんなに一杯買えるようになって、子供は幸せになったのかな。
50年前は、100年前はこんなにおもちゃがいっぱい無かった頃は、それはそれで幸せだったと思うんだけど。
ということで、我が家ではおもちゃ売り場子供侵入禁止となります。
わっしょい
おすすめ本
やっぱり絵本がいいです。
その中でも不動の位置を占めるTupera Tupera。是非お試しを。