単体ではシンプルがより強い。社会になると多様性がものを言う自然の摂理。

思うこと

よくそもそもを考える時に自然のことを考える。

人間のたかだか数百年、数千年の歴史なんて自然の歴史の前には米粒ほどの長さしかないからね。

人間の世界は物事が複雑に絡み合いすぎていて、時に何が正しくて、何を信じたらいいのか分からなくなる。

売上と、生産効率どっちが重要ですかなんて、全く不毛すぎて議論する気にもなれないことに、なんだか会社の人は時間をかけているようだし。

しかもそんな議論していたぐらいだから、どれだけ効率の良い仕事をしているのかと思いきや、みんな自分勝手に非効率に動いている。

よりシンプルな方が強い。

とりあえず変な言い訳せずに、目の前のことをまずはシンプルにこなしていけばいいんじゃないか。

誰のため、あれのため、これのためとか、色々と理由付け出すと、屁理屈合戦になるから、まずは理由はおいておいて、必要だと思うこと、やったらいいと思うことををやればいいし、

何となくやりたくないこと、やらない方が良いと思うことには力を注がない。

針葉樹のほうが広葉樹よりも強い(らしい)

※この前本でかじった知識なので、信憑性はわかりません。

針葉樹って言うのは杉とかヒノキとか、見た目も針っぽくてシュッとした木。

広葉樹はそうでない木。サクラ、ケヤキ、クリ、クスノキとか他にも色々。

まぁここで厳密にどの木がどんな特性かっていうのはいいんですが、日本みたいに人工的に針葉樹林が大量にある状況は別にして、自然界において寒い場所には針葉樹林が多いらしい。

確かにロシアとか、ヨーロッパの寒いところとか、何となく針葉樹が多いイメージ。

何でもそれは針葉樹のほうが木の構造がシンプルで、寒さに強いかららしい。

へぇー。確かに植物のように動くことができない生物は、それ自体の強さが、もう生きるか死ぬかだから。

人間みたいに無駄にごちゃごちゃし出すと、なんか表面を取り繕って生きることだけはできるけど、やっぱり根本的な強さがないと、本当の困難の中では生き残れないって事でしょうか。

シンプルが”良い”というわけじゃない。

でも何が何でもシンプルが良いといっているわけじゃない。

世の中に針葉樹だけであれば、世界はなんとつまらないことか。

実際に森には多様性が息づいていて、人の手が入っていない原生林においては、生態系はより複雑に、多様になる。

一つの要素だけをみたら、何となく強いものがいいけど、全体としては強いものも、弱いものも複雑に絡み合っている社会がいいということか。

だから自分も個人としては強いもの、シンプルなものを目指すけど、社会としては多様なほうが良い。

自分にとっての強いが必ずしも、他人にとっての強いとは限らない。

ある人は力の強さに、体のしなやかさに、ある人は金に、ある人は精神的なタフさに強さを求めるかもしれない。

自分は少なくとも強さの定義をシンプルを求めていくことにする。

そうすると迷い無く強くなれそうな気がするから。

とりあえず今日もしぶとく根気強く生きています。

わっしょい

 


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