”ヤバイ”と”忙しい”に毒される社畜ワールドはもう要らない

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この世の中には、やたらと”ヤバイ”、とか、これは”忙しい”とか表現したがる人がいる。
 
でもこと仕事に関して言えば、こういった”脅迫ワード”は使うべきじゃないよなー。これは所詮脅迫、強制によって組織を動かしているに過ぎないと思うんだけど。
 
もっと周囲を鼓舞して、持ち上げても同じ結果かそれ以上のものを生み出せるんじゃないの。
 

”ヤバイ”と”忙しい”に毒される世界

私の感覚で言えば、ヤバイとか、忙しいって、相当に追い込まれている人しか使えなくて、更に本当にヤバイ人は、ヤバイなんて言ってられない。そもそも”ヤバイ”も、”忙しい”も主観的な”感覚”でしかなくて、何が問題か、それが問題であるかどうかも伝えてない
 
例えば、
 
「本来は1人3つのプロジェクトが適正数なのに、急遽2つも追加でやる羽目になって、この3ヶ月ぐらいは毎日終電帰りなんですよ(≒忙しい)」
 
とか、
 
「納入したシステムに不具合が見つかって、しかもそれが国防に関する話で、これは緊急に対応しないといけない(≒ヤバイ)」
 
とかならまだ話は理解できるけど。

仕事ってそもそも予定調和のことがほとんどじゃないんですか。

私も経験がありますが、「これを3ヶ月で終わらせる必要がある。終わらなかったら、ヤバイ」とか、「このxxを今週中に復旧する、できないと、ヤバイ」って。
 
ただこれはヤバイとか言われて、どこがやばいのかよくわからない。
 
うーん、そりゃ終わらせるべきものを終わらなかったら”ヤバイ”だろうけど、そうならないように我々がいるというか、それが仕事ってもんじゃないだろうか
 
 
そしてもし終わらなかったら、代案考えたり、予定を変更するために関係者との調整をしたり。最悪ごめんなさいしたり。
 
これを言い出したら、マクドナルドがハンバーガーの注文に対応できないと”ヤバイ”し、JRが電車の運行を時間通りに運行できないと”ヤバイ”って言うのと同じで、やるべきことをやりましょうって言っているようにしか聞こえない。

ヤバイは”もしも”のためにとっておきましょう。

確かに仕事において、想定外の中でも、さらに想定外ってのはあって、そのときのために「ヤバイ」はとっておいた方がヤバイのヤバイ感がヤバイと思うんだけど。
 
まぁ私としては会社の倒産も想定内なので、それこそ出張中の飛行機が墜落したとか、会社が爆破されたとかだったら、流石にヤバイなって思うけど、それこそ人命に影響がない範囲で言えばあんまりヤバイってない

ヤバイに”同時に”二つの意味を入れないで。

これはそもそものヤバイの使い方が原因であるような気がする。よく最近の若者はヤバイをポジティブな意味合いで使うというのが話題になったりする。
 
1980年代頃から若者言葉で「やばい」が「格好悪い」の意味として用いられ、90年代から「凄い」の意味が派生し、肯定・否定問わず「やばい」が用いられるようになった。

引用:語源由来時点(http://gogen-allguide.com/ya/yabai.html)

別に是自体は問題ないと思うけど、問題は仕事で使うヤバイに関しては、多分肯定的、否定的、両方の二つの意味を含んでいると思うこと。
 
例えば表面的には「プロジェクトが終わらなくてヤバイ」という状況があったとすると、その「ヤバイ(ネガティブな意味)」状況をクリアする俺って「ヤバイ(ポジティブな意味)」みたいな。
 
だから、こういう人たちはその状況に酔っているわけで、言い換えれば状況を楽しんでいる。
 
ただ表面的にはネガティブに見えるわけで、私はそんなことでアドレナリンを分泌すると非常に疲れるので、できればそんな事で私の体力を奪われたくないんですよ。
 
楽しんでいるんだったら、素直に楽しいって言えばいい。

忙しい俺、カッコいい幻想

だいぶヤバイに偏ったけど、”忙しい”の意味合いは少し違うかな。多分これは忙しい俺かっこいい幻想が未だにはびこっている結果。
 
「忙しく動き回る俺、人に頼られる俺、カッコいい。そして俺がいないと回らない組織だから、助けてやるか。」
 
そんな意味合いが”忙しい”には含まれている。
 
もちろん本当に忙しいときもあるんだけど、そもそも忙しいって言葉をカッコいい意味で普段使い慣れている人達は、忙しいって言葉を発するのを躊躇わない。
 
でも忙しいって言った瞬間に私からすると、あぁ残念だなと思う。
 
本当はこれは思考停止ワードだって事をもう少し浸透させて頂きたいんです。
 
感覚的には今世の中に出回っている全ての”忙しい”の言葉の量の10%くらいが本来世間に出回る忙しいの量だと思うんだけどな。
 
ちなみにその10%っていうのは
社畜A「最近どう?」
社畜B「ちょっと忙しくなってきたね」
のような文脈で使われる表面的な会話。あえて詳細を語る必要が無いからね。

最後に

ついつい使ってしまう言葉だけど、言葉に人は引きずられる。

どうせだったら、外的な脅迫ワードじゃなくて、もっと内から湧き出す内的な力で、アドレナリン分泌したいやね。

その辺の内的な力ってのは見え難いけど、だからって無視したくはない。

さてさて私のどこにそれを高めるスイッチがあるのでしょうか。

わっしょい。


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