寒い。
今年は暖冬だとか聞いていて、実際春なんじゃないかぐらいの勢いだったのに。
そこであんまり好きじゃないんだけど、コートを出してみた。
膝より上のロングコートというほどでもないコート。普段はブルゾンというかジャンパーという何ともサラリーマンらしからぬ格好で、背広も着ないで会社に行っていてこれが楽なんだけども、如何せんこいつが寒い。
かといってダウンなど着ようものなら厚くて暑くて熱過ぎる。たまに電車で見かけるけど、みんなどれだけ寒がりなんだろうか。
久方ぶりのコートさんには、違和感しか感じない
というわけでコートの出番である。昔はコートで行っていたのだけど、この数年で私は変わってしまったよ。コートを着ている自分に違和感しか感じない。
着ている自分にも違和感を感じるし、何よりコートの存在そのものが可笑しくてたまならい。
まずコートの裾が邪魔すぎる。なんでこんなにひらひらしているのか。特に電車で座るときなんかどうしたって隣の人に裾のひらひらに座られて立ち上がるときにお互い「あ、すいません」みたいな茶番のやりとり。
さらにこのひらひらは、まるでヒーローのマントみたいじゃないか。こっ恥ずかしい。なんならそれをむしろ誇張して、ぐいぐい見せ付けている人も世の中にはいて、それはそれは滑稽な気がする(一般的にはきりっとした出来る風のビジネスマン)。特に丸の内辺りに多く出没するイメージ。
まぁそこまで行けばある意味、「俺は日本の停滞した経済を救う救世主!」ぐらいの気概を感じてむしろかっこいい気がしないでもない。やはりその辺は突き抜け加減なので、表裏一体といったところか。
ただ、そこまでぐいぐい系のサラリーマンじゃなくても、ほとんどのサラリーマンがコートを着ているというこの事実に誰かアンチテーゼを投げる必要があるんじゃないかと思う。
コートの必要性をもう一度問い直してみる
ではなぜ我々はコートのような邪魔臭いものをきるのか。
そうそれは、背広の存在である。背広それ自体が、マント的な、小コート的な存在であるので、結果としてそれよりも大きな大コート的な、ヒーローマントのような存在が必要になるのだ。
ということは背広の存在から否定する必要がある。
私は最近ほとんど背広を着ない。別に私服であるとか、制服であるとかではなくて、絶妙に、巧妙にクールビズのカジュアルスタイルを逆手にとって、「私はスーツを着ていないようで着ているんですよ、何か?」ぐらいのスタンスを取っている。
このスタンスを取り出しただって、ついここ数年の話。私だって長い月日をかけてこの境地まで辿り着いたんだ。
そしてやってみてやはり気付いた。「背広要らなくね?」って。最初は緊急時用に会社に背広だけ置いておいたりもしたんだけど、あまりの使わなさにそれも撤去。もちろんこの辺はその人の業務内容とか、社風にもよるんだけど、スーツなんてあくまで気分的なものだってのはみんな知っておいたほうがいい。
しかもそもそも襟付きシャツ着てんだから、これはもうフォーマルってことで許しておくれよ。
わっしょい