私生活において相談したがことない。
相談ってなんだ?What is Sodan?
誰が私のこんな、私的で、個人的で、我儘な悩みを解決してくれるって言うんだ。
そこまで考えて気付いた。
そうか私には悩みがないんだ。
なんて幸せで、能天気な奴なんだ。でも無いものは無いんだからしょうがない。
別に能天気にフラフラと人生を消化しているわけじゃない。子供について、家族について、仕事について、お金について、考えない日はない。無い頭を振り絞って決断することだってある。
ただ世間の悩みっぷりには驚かされる。
Google検索 ”悩み” 2億5千8百万件。みんなどんだけ悩んでいるんだ。
悩みって何だ?
Goo国語辞書によると
1 思いわずらうこと。心の苦しみ。
らしい。知ってる。
でも言葉を厳密に知るということは重要。そうか心の苦しみか。
お金が無い?恋人がいない?仕事が上手くいかない?
どれも頷いてしまいそうだけど、悩みじゃない。心は苦しくないだろ。強いて言うなら頭が苦しい。悩みって言うのは何かが無いことをいうんじゃない。無いなら、それを得る努力をすればいいだけ。
恐らく悩みって言うのは、もっと複雑で、深遠で、扱い辛いものである気がする。
「恋人が欲しい」のではなく、「好きな恋人がいる」けど振り向いてもらえない。しかも仲の良い友達だから、振られた後の気まずい関係が気になるという複雑な事情があったり。
悩みっぽい。悩みっぽくなってきた。
「仕事に上手くいかない」として、仕事の能力は十分、人間関係もよく、評価も高いんだ。だけど商品を好きになれないという葛藤があったり。
あぁ、これぞ悩み。
そう考え出すとまぁ多かれ少なかれ自分にだってあるよ、悩み。と思いなおす。
相談に答えるってのは。
話を戻そう。
人生において相談というものをしたことがない。これは悩みが無いからではなくて、相談に解を求めていないからだ。他人が”個人の複雑”に口を挟む余地が無いと思ってる。
もちろん上の例で言えば、好きな人の友達にそれとなく相談する、職場の同僚に相談する、などは効果的。もちろん相談に足る人格があればという前提だけど。
ただ例えば「起業したい」として辞職を考えた場合に、社内には相談に答えられる人はほとんどいないと言って良い。なぜかって勤め人は誰も起業していないから。どんなに優れた人であってもやったこと無いことには答えられない。
ただ優秀な人であればこそ、お仕着せの一般論をさも高尚な理論に押し上げて相談に答えてしまう。良かれと思って。
更に、家族構成、業界、起業によって何を得たいか。こういった価値観まで理解したうえで相談に回答できる人など、最早プロフェッショナルの世界。
ちゃんとした相談なんてこの世には存在してないんだ
人間誰しも自分の話をしたいもんだ。
人が話しているのに、私は、俺は。
イヤイヤ、お前の話を聞きに来たんじゃない。
結局相談に答えられる人って言うのは、話の9割を「うん」と「それで」で聞きながら、最後の1割でしれっと自分の考えを述べてみたりする。そういうことじゃないか。
相手の状況も、性格も、価値観も、全てを考慮して、「こうじゃない?」って。
Just do it
さすがマーケティングに金かけてる会社だけはある。
いいコピー考える。
結局思い悩んだら、後はもうやってみるしかない。
中途半端に人に意見求めたって、誰かのせいにする理由を自分で作り出してるだけだ。
「あなたはこう言った」「あなたの言うとおりにしたのに」
そしたら、残された道は ”やる” か ”やらない” か。
やるのか?
俺、やるのか?
わっしょい