人は自分を過大評価する。出来ない自分を受け入れるのは難しい

思うこと

どうもTarfです。
 
こんな記事を見つけました。
 こんなのダサいので認めたくなかった。自分は人とは何かが違うと思いたかった。 でもきっと、これまでを考えると自分は凡人です。 多分、営業をやっても、開発をやっても、自分は何かの道で突き抜けることはできない気がします。

自分が平均点であると気付くのは意外と難しい

ああ、すごいなと思います。この方は何が出来るだろうと悩み、悩み相談をしているわけですが、そもそも自分が平均点と気付くこと自体が凄いです。
 
私がその境地に達したのは30も半ばになった最近でしょうか。もちろん自分がそんなに出来るとは思っていませんでしたが、そこまで客観的に自分の出来ることと、出来ないことを区別できていなかったんです。
 
しかもこの方は自分を”真面目な凡人”と称します。こんな優秀な方はいるでしょうか。恐らくこの人はどんな仕事も1番ではないけど、ソツなくこなすのでしょう。
 
確かに速く、正確で、より効果的なコードがかけるプログラマー、モノを売れば難攻不落の顧客を攻め落とし、新たな人脈を次から次へと作ってくる営業、そんな人達は明確に会社に貢献しているといえるかもしれません。

真面目な凡人が評価される組織がいい

でも自分が上司、経営者だったらこういう人の評価を上げたい(なぜか上目線)。
 
だってこういう人が、他の人の手が回らないところを綺麗にまとめてくれると思うんです。
 
自分がそこまで出来ないって知っているから、出来る人が仕事をし易いように、自分より出来ない人が、もう少し出来るように、そういう地味ーな仕事は評価されるべきです。
 
でもそういうのはちゃんと人を見る力のある人じゃないと分からないですから。
組織として、どうやってそういう人を拾い上げていくのかは真剣に考えたほうがいい気がします。

世の中の多くは出来ない理由を外に求める

ちなみに大体世の中の多くの人は、自分ではなく外に出来ない理由を見つけるんです。(弊社の中では特に多い)

「経営の判断がいけてない」「隣の部署のこれはダメだ」「景気が悪い」

それはそれで本当のことかもしれないけど、自分が直面している課題に直結する問題であれば、それを改善すればいいだけだし、愚痴言っている暇があれば早く仕事しなさい、とは思います。

(最近色々あるんです)

卑下して、謙遜して、そして見下す相手を探している

そして、謙遜が美徳とされるここ日本においては、よく卑下だか、謙遜だかわからない言い訳を聞きます。
 
が、これを言う多くの人は、自分より出来ない人を見ると、今度は逆に人格攻撃を始める。要はいつも謙遜しているのは、事前に攻撃されないために防御線を張っているんです。
 
別に誰かの出来ない状況があっても、その出来ない事象を見ればいいだけなんですが。
 
さっきまで自分を低く見積もっていたのに、一度ちょっと出来ない人、状況を見つけると鬼の首とったように。
 
こういう人間にはならないようにしましょう。

まとめ

今日も長い愚痴になってしまいました。最近色々あります。

でも自分のことを客観的に見るというのは大事なことです。仮に出来ないことがわかっても卑下する必要はないですけどね。

だって世の中で出来る人なんてほんの一握り。

大体の人は平均の中で、下を見ては安心して、上を見ては焦りながら生きているわけです。

私は前だけをみて生きていきます。

わっしょい


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