簡単にできる・なれる割に責任が重い管理職という虚像

思うこと

Books&appsというWebメディア。何人かの方の記事が載っているのだけど、その中でもお気に入りはこの”しんざきさん”。

子持ちって共通点もあるかもだけど、常に物事の本質を考えるその姿勢にはいつも感服しきり。

そして今回はこんな記事をあげておりました。

あー正に。

面倒なので、適当にやり過ごすボスへの報告

最近は上司の小言がうるさいので、必要最低限の報告のみにしております。

それなりに長く仕えてきたのでコツらしきものが分かってきて、適当にごまかしてるんだけどね。

たまにごまかしきれないこともあるし、そもそもごまかしきれていると思っているのは自分だけかもしれないけど、上司はすぐに怒るから、それさえ避けられればどう思われていようと構わない。

この発想自体もう負け組のものとは理解しているけど、精神を蝕まれているので自らの健康が最優先事項。

管理職の責任の重さを世の中は認識すべき

で、ふと思うんだけど。

管理職になるのってそんなに難しいことじゃなくて、バイトだって、新卒だって、状況によっては人に指示、指導する立場になることはある。

それなのにその部下とか、指導される人への影響の仕方がえげつなく大きい気がするんですけど。

私もこんなくだらないごまかしをやっている時のストレスの大きさたるや尋常じゃない。それを間接的にとはいえ作り出している、この上司という存在、これはもう私にとってというより社会にとって害悪でしかないのではないかって。

こういうストレスをこの世の中から少しでも減らすことができれば、かなりの医療費を削減することができると思いますよ。

私が仕事できないとか、そういう可能性は全面的に否定させていただきます

もちろん私が仕事できないとか、そういう可能性も否定はできないわけ。

でもそれも含めて管理するのがこの方の仕事だと開き直らせていただきます

この人は仕事で利益をあげるとか、コストを下げるとか、会社に対しては多少なりとも貢献はしているとは思う。だから経営陣から見たらにはいい”部下”ってことになるんでしょう。

でも人間一人を使い物にできなくするっていうのは、例え10億、100億の利益をあげようが、なんの意味もないどころか社会にとっては害なんじゃないかってこと。

だって例えば100億の利益なんて、その人がいなくたって誰かが得ていただろうし、仮にその会社でできなくても、社会としては誰かがやっていたわけでしょう?

管理職たるもの、常に自分の責任を疑うべし

記事中にこんな記載がある。

Yさんは、この問題の根本原因を

「タスクの進捗遅れや問題発生時に、メンバーが早めに報告・相談してくれないこと」

と考えているようでした。

Yさんってのが上司なんだけど、つまり自分に問題があるとは考えていない。でも確かにここで自分の責に目が向く人はかなり少数だよな、と思う。

ただそれを超えて思うのは、この自分を疑うってことができない人は管理職になるべきじゃない。

自分を疑うってことは、物事を客観的に見ることができること。別に自信を持つなと言うことではなくて、あらゆる可能性に思いを馳せる事ができるってこと。

そしてこういうのはそんなに立派な組織ではなくても、バイトリーダーとか、あらゆる管理者に必須のスキル、能力であって、でも世の中的にはあまり重要視されていない気がする。

ちなみにうちの会社にはこの感覚をお持ちの方は皆無です。

それでも組織ってのはまわってしまうんです。金さえ回ってればね。もう会社ってところは構造的に欠陥を備えた存在でしかないってことなのかもしれない。

小さなチームのリーダーであっても人の人生を台無しにする

たとえ政治家でなくても、大会社の経営者でなくても、マスコミでなくても、人に直接的な影響を与えるという点においては管理者の責任は大きい。

まぁそれが単なるポジションなのか、役割なのか、年齢なのか。色々な理由で人の上に立つことはあるんだけど。

「お前はアホか」と友達に言われてもタダの戯言で住むけど、上司に言われたらただ事じゃない。

「すいません」と謝りながらも、なんで自分は悪くないのにと心の中で思い、またこいつに報告しなきゃいけないのかと気が滅入ってくる。しかもこいつ(上司)は自分が慕われていると勘違いしていて、機嫌がいいとやたら絡んできて、それも面倒でストレス、、、とか。

こんなやり取りが何気なく繰り返される。

このストレスや計り知れない。

究極的には親という存在も管理職

そして最近思うのは親の子供への責任の重さ。

子育てに関する能力ってのは、会社の管理職の比ではないぐらいに多様で、そして人一人を社会に送り出すという重責なのに。

世の中に見る本当にどうしようもない犯罪とかをニュースで見るたびに、その人それ自体のダメさと言うよりは、そういう存在を許してしまう社会としての脆弱性を考えずにはいられないわけです。

そしてそんなダメ人間がまた親になって、ちゃんとした子供を育てられるわけはないのに、そういう人間は欲望に忠実なのでせっせと子作りに励むという悪循環。

そう考えると人の管理・教育なんかを特定の誰かに依存するっていうのは無理なんじゃないかって気がして。

最後に

もうここまで来たら、人数の大小は別にして、教育・管理に関する人はある一定の資格を必要とするとか、何らかの機関が常にサポートするとか、そういう体制を敷くしかないか。

でもその機関それ自体が組織であるという矛盾、、、。

なんかもっとフラットなプラットフォームみたいなモノがあるといいんだけど。

なんか考えがまとまらなくなってきたのだけど、とりあえず自分の子供にはこんなアホみたいな上司のいる組織で働いてほしくないし、そんな人間には絶対になってほしくないので、きちんと接していこうと、そういう所存です。

わっしょい

 

上司にもこれを読んで勉強してほしい。まぁ多分読んだところで内省できないところがこういう人の問題点なんだけど。

 


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