日本?岐阜?深夜バスのレベルが色んな意味で高すぎる


先日、岐阜という、47都道府県内でも有数の「行ってみたら意外とよかった県」を訪問した。岐阜ってのは都心からだと新幹線でも飛行機でも行きにくい場所であり、そのため日本の誇る道路網を駆使した、深夜バスという離れ業で行ってきた。結論から言うとこの高速バスって奴が凄い良い

別に高速・深夜バスなんて離れ業でもなんでもないというご意見はごもっとも。ただこちとら40を間近に控えたおっさんなわけ。夜はゆっくり眠りたいし、眠るにしたってふかふか布団に包まれていたいわけ。それでも、そんな良い年したおっさんにでも深夜バスは優しく門戸を広げてくれるわけ。ありがたや。

なぜわざわざ岐阜くんだりまで出向いたかは、それこそ長編小説でも書けてしまうぐらいの深い事情があるのでまた別途書くとして、なぜ新幹線で名古屋へ行き、そこから北上するという手段を取らなかったかと言えば、まぁ平たく言って金の問題である。

私はこんな年になっても、まだあらゆる料金表、値札にびくびくしながら生活している。まぁむしろこんな年になったからとも言えなくもない。あの20代の時の豪放磊落とした買い物が懐かしい。

さて、私が書きたいのはバスが安いってことじゃない。

深夜バスという快適空間

伝えたいのはあの居心地のよい空間だ。その快適空間の最たる理由がなんと噂の3列シート。つまり席と席が独立しているあれ。勿論全ての深夜バスがそうではないと思うんだけど、私の乗った奴は正にそれ(乗る前に調べとけってね)。

これが本当にいい。普通のバスの何が嫌って、椅子が細くって、隣の人との密着間が半端ない。隣におっきめでかつ何も気にしない残念な方が来たときの絶望感たるや尋常じゃない。

それが私が乗ったこいつには足置きがあって、リクライニングは深々と倒しても問題はないし、若干椅子がふかふかしている気がしないでもない。しかも毛布まで各席に用意されている。さらにさらに、社内はカーテンがきちっと閉められていて、もう「お前ら全員寝ろ」って意思統一がなされている。

意思統一がなされている組織ほど心強いものはない。

私は結構飛行機には乗るんだけど、飛行機ってのは沢山の人が乗るってのもあって、仮に深夜便であってもここまでの意思統一がされていない場合が多い。トイレに立つタイミングもみんなまちまちだし、何よりエコノミーだと席が狭い。

極めつけは、素晴らしい乗客のマナー

とまぁそれなりのハード面の良さはあるんだけど、それよりもなによりも良かったのが客層。いわば今回道中運命を共にする仲間だ。ドラクエで言えばパーティーだ。この仲間の質が高いってのは、旅を豊かにする最大の理由だったりする。まずい飯だって、旅のトラブルだって、仲間となら笑い話に出来るってもん。

これに関しては正直期待してなかった。だってバスは安いんだもん。一般的には安い買い物、タダでいける場所に集まる人間の教養レベルというのは低いことが多い。要はマナーが悪い。だから無料の花火大会の後はゴミが散乱するし、渋谷のハロウィンもひどいことになっている。セールに群がる人達は周囲にタックルだってかますんだ。

だがしかし、そんな期待をいい意味で裏切られる。不思議に広がる快適空間。まず入るときは名前がしっかりと確認される。いわゆる実名制ってやつ。だからXXさんの席はそこです、みたいに言われて何故か運転手さんにも親近感

そして仲間たちが乗車してくる。まずみんな席を倒すときに倒していいですかって聞いてる。まぁ、これは分かる。でも自分の前の人もだったけど、そこかしこでこのやり取り。しかし驚いたのが、後ろの人が倒してもいいですよって前の人に言っている。あれ、日本ってこんなにフレンドリーな国だっけ、と。今まで私が生きてきた世知辛い世界は虚像なのか?

そして出発したらみんな靴を脱ぎ、靴下まで脱ぎ、静かに寝息を立て始める。すばらしい。お陰様で岐阜に到着するまで、不快な思いは一度もせず。寝てたからわからんだろって突っ込みは無粋です。

高速バスの海外事情

なんかこれだけ書くとバス初心者みたいに見えるけど、いや日本に関してはその通りなんだけど、海外では幾多の高速バス、深夜バスに果敢にトライしてきた。

モロッコの深夜バスでは寝ている間に靴が運転席に転がり、運転手が靴を隠すというイタズラをされ顔面蒼白になりながら靴を探し回り、エチオピアのバスでは椅子ではない何かの”かどっちょ”に7-8時間も座らされ、翌日は余りのケツの痛さに空港のロビーで一睡も出来ずに一夜を明かしたり。

そんなのと比べるとこの日本の優しさは、たとえそれがぬるま湯と揶揄されようが、私はそのぬるま湯で平和ボケしながらのほほんと生きていくんだと誓いたくもなる。

ビバ じゃぱん。

そこで気付いた岐阜県民の優しさ

いや、本当のところは知りませんよ。でももしかしてこれは日本ってことじゃなくて岐阜県民のなせる業?という疑問が頭をもたげる。

多分だけど、わざわざ岐阜行きの高速バスに乗る人間なんて岐阜県民か、岐阜に相当ゆかりのある人だけ。

ということはこれは日本人に一般化できる話ではなく、岐阜県民の県民性故の快適さなのか。

そして長いこと都心で生活してきた世知辛く、擦れた精神が刷り込まれてしまっていた私の負の心に優しく響いたってことなのか。

これから岐阜とは長い付き合いになりそうな気がする。

わっしょい

 

旅のお供に小さいバッグがあると楽である。安売りしてたから買ったけど、これはなかなか。昔はこんなんでもけっこうしたもんだけど。デフレ大国万歳。

 


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