どうもTarfです。
一介のサラリーマンです。
数度の転職を経て、人生の難しさを通関士、とりあえず人生で一度は独立してみたいなと思い始めている今日この頃です。
ただ本当にそれでやっていけるのか、物理的に食っていけるというだけでなく、やりたいと思いながら続けていけるのかという悩みが常に付きまといます
仕事って結局何なのか
”仕事”とはいったい何なのか。サッカー選手は仕事なのか?大工は仕事なのか?メールを出すことが仕事なのか?メールを出したその後が仕事なのか?
特にサラリーマンである人はこの辺を明確にしていた方がいいです。
厳密に今実施している”事柄”が何なのか、そしてその一つ一つに対して自分はどのように感じているのかです。
当たり前の話ですが、仕事していればやりたいこともあれば、やりたくないこともあり、それでも色々と文句を良いながら、時には調整して可能な限り都合よく回るように動いていくわけです。
その中にはたぶんにつまらない仕事もありますが、面白いと思う仕事も合ったりもします。
でも仮に”仕事”がつまらなかったとして、それを「私は営業で、仕事がつまらないです。企画をさせてください。」といって異動したとして、果たして仕事が面白くなるかという話です。
勘違いしていた自分自身の趣味嗜好
実は私はこの分析が甘かったです。
一度転職をしましたが、大枠としてのやりたいこと、例えば「海外」等などのフレーズはいくつか用意して、それらに可能な限り合致するような環境を選んでいましたが、それでも本質の部分は見えていませんでした。
恐らく私が求めていたのは「自らの裁量をどれだけもって作業を進められるか」という点だったのだと思います。そしてこれをある程度の役職が上になれば出来るものと勘違いしていました。
でも、例えば仮に社長でも、他の役員に、株主に、取引先にと気を遣わなければならない先が山ほどあるため、意外と好き勝手にやっているわけではないのです。
失敗しながら学んでいくしかありません
私も自分自身を勘違いしてしまったとおり、人間って本当にやりたいものってなんだかわからないんです。
サッカー好きがプロ選手とか、小さい頃からピアノやっててピアニストとかはわかりやすい。これらはやりたいとか以前に体の、生活の一部ですから。
でも普通に学生やって、会社に入った場合、例えば服飾に興味があるといっても、作ることに興味があるのか、自分好みのデザインのものを仕入れることに興味があるのかは意外と自分でも分かりません。
もしかしたら両方かもしれませんし、もしかしたら服じゃなくて靴に特化したくなるかもしれない。もしかしたら途中で変わっていくこともあるかもしれない。
だから常に自分自身への評価を修正していく必要があるんでしょう。
ちなみにですが、世の中にはこんなことに試行錯誤せずに、さくっと方向決めてそこに全力をかけられる人がいます。
そういう人は表舞台にいるので、そういう人が世の中に多数派に見えますが、極少数派、、、のはずです。
好きなことを仕事に出来るなら給料は安くても良いのか
だからこそ、独立したから、好きなことを始めたから給料は安くて良いのか、も深く考えておく必要があります。
なぜって独立したからって、それが自分に合っているかどうかは誰もわからないからです。
好きなことするのだから、多少は丁稚奉公しようとか、給料は安くて良いとか、その考えは可能な限り消していこうということです。
好きなことこそ、新しい何かがしたくなる=資金が必要になる
お金はあくまで手段であり、目的でないと理解すべきですが、気持ち、状況は時間によって変わるものである以上、また何が好きかを判断するのが難しい以上、資金は持っておいたほうがよいです。
何かを変えたい、始めたいと思っても先立つものが無ければいかんともしがたいです。そこに100%2倍になる投資案件があっても手元に何もなければどうしようもないわけです。
仮にものすごい好きで、寝食を忘れるぐらい好きで、それは5年後も、10年後も同じだとしても、尚更給料が安くて良いなんて浅はかな考えは捨てるべきです。
だって好きだったらより良い物を作りたい、これをこうしたい、ああしたい、って思うでしょう。そうしたときに新しい何かが必要になるんです。
まとめ
結論としては、一生懸命働いて高いお金をもらう。なんのこっちゃない、当たり前の話です。
でもついつい人間は楽な思考に流れます。好きなんだから給料安くても良いか、つまらないけどそこそこ給料貰っているからいいか。
結果がどうなるかは神のみぞ知るところですが、とりあえず妥協しているなら妥協していることを認識するところから始めようかと思います。
色々と書きましたが、全ては自分への言葉です。
そうでもしないといつでも楽な方向に流れそうです。
わっしょい