議事録のない世界

仕事・キャリア

建築業界に来て思ったシリーズ、、、ではないか。議事録はどこの世界にだってあったし、私だって多種多様な議事録を作ってきたし、目にしてきた。だからその役割も知っている。

その上で言いたい。こいつをこの社会から無くしたい、と。

手段の目的化

現在は非常に残念ながら、仕事の大半をこの議事録を作ること、確認することに費やされている気がする。

最初はまぁお互いの認識齟齬がないため、何かあってもその時の発言をきちんと残しておくのだからしょうがないと思っていたんだけど、本当にそうだろうか?

まず、私の社会人経験において、議事録が記録としての役割以上の働きをしたことはない。記録というのはあのときなんて言ったっけとか、そんな感じのとき見返すときはある。

ただ言った言わない議論において、「あなた、ここでこの話に合意しているじゃないですか」みたいな白熱した状況で議事録を使用した経験は未だかつてない。

それは当たり前といえば当たり前。お客さんとか、取引先と、そんな関係になってしまったら末期も末期。普通は「まぁそんなことも言ったけど、丸く収めるようにこっちの仕様を変えときますよ」とか、みたいにするわけだ。

逆にそんな白熱した場面だと、今更議事録一つ持ち出したぐらいじゃ、「俺は見てない」とか、「そんなん知らん」とか言い出されて終わりな気もする。それこそ裁判沙汰になったらわかりませんが。

議事録自体が成果物になる世界

何も議事録の全てを否定しているわけじゃなく、もちろんその有用性は認めつつ、ただの記録なんだから、こんなの作るのに時間を使う暇があるのなら、他にやることあるでしょと、というのが言いたいところなんだが。

例えば単に記録なら動画撮って、必要なら文字起こしサービスでも使って外注したら良いんじゃないかと。

もちろん技術としてこなれてないとか、セキュリティの問題とかあるにせよ、やると決めれば別に大した話ではない気がする。

一番の問題は、社会に出ると、じゃぁまず新人は議事録取り、みたいにビジネスの基本1、議事録を取る、みたいな文化が根づいてしまっていることだ。

その結果、手段であるはずの議事録が目的化している。やらなくてもいいけど、遊んでいるのはもったいないから議事録を取るみたいな文化はホントやめて欲しい。

ただ内容を理解していない人が、議事録を一生懸命に取ることで、内容にキャッチアップしたり、他者がその人の理解のレベルを知ることには役に立つ。まぁそれは本人が必要だったら勝手にやる話で、人に言われてやる話ではないとも思う。

地方行政の闇は深い

現在の立場では地方行政と仕事をすることが多く、そこではより問題は深刻だ。どうやらこの議事録をプロジェクトなどでの成果物とするケースも有るという。

税金を投入して行われるプロジェクトにおいて、その過程がどうなっていたかを残すというのは必要といえば必要なのは非常にわかる。

ただ問題は上記の通り、手段の目的化。本当は例えば良い建物を建てることが目的なのに、一部の人は、どうでも良い資料のどうでも良い体裁を整えることに四苦八苦している。

地方行政といえば、地域の秀才たちが集まる場所である。事務処理能力は高い。重箱の隅を突き続けるそのスキルは驚愕すべきところだが、その時間、労力は不毛だ。

みんながみんな批判に怯え、言い訳のための材料作りに勤しむこの光景は誰かが止めないといけないんじゃ無いのか。結果として、それは税金で賄われ、国民の負担になる。

仕事は楽しくあるべき

色々書いたが、要は仕事は楽しくしましょう、と。記録をとって、誰からも刺されない仕事をするという、そんな仕事の仕方はつまらない。(もちろん負荷のない範囲でメモとったりは各々が勝手にやれば良い)。

もはやつまらない仕事をする事は罪だとみんなが認識する必要があって、楽しく仕事をすればどうすればよいかを各々が本当に考えると、効率的な手法も思いつくし、それが結果的には良い成果物に結びつく。

誰だって失敗はしたくないし、良いものを作りたいと思うのだ。だから一旦立ち止まって、ビジネスマナーの基本なんて実は大した話じゃないと考える時間をみんながもって欲しい。

グラレコはレベル高いし、一般的ではないけど、こういう新たなツールを使っていく必要があるんでないかな。

わっしょい


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