私のボスは恥ずかしがり屋さん。

仕事・キャリア

メールでしか感謝を述べられない人がいる。

メールでしか本音を話せない人がいる。

しかもこういう人達はメールがLINEになったり、Facebookになったりして、感情を表現できるツールが増えたことで、何故かコミュニケーション強者と思われる人の中にも一定数いるという。すごい世の中になったもんです。

でも実際に会うと強がってみたり、不必要に力を誇示してみたり、誰かの頑張りを揶揄してみたり。その本質は好きな女の子にわざと意地悪するような少年のそれと何ら変わらないんだけど、残念ながらこういう輩は中途半端に権力を持っていたり、小金を持っている。

そういうことに気付いてコミュニケーション強者のメール・SNSを除くと、上っ面だけのメールの謝辞とか、建前の気持ちの寄り添いが透けて見えて、居心地が悪くてもぞもぞする。

一言「ありがとう」と口で言えば済むはずなのにそれが出来ないんだ?

しかしながらこんな彼らの行動は一言で言い表せる。彼らというか、彼。そう、私のボスは恥ずかしがり屋さんなのだ。

恥ずかしいという感情とプライドは違う

いい年こいたおっさんが、何を「ありがとう」言うのに恥ずかしがっているんだと思わないでもない。けれども、世の中には一定数こういう人がいるのも事実で、この事実を通り過ぎて正論を述べたところで何も生まれない。

しかしながら少し前までの私は、この人はプライドが高いから人に面と向かって感謝したり、謙虚に発言したり出来ないんだと思ってた。

プライドってのは、いわゆる自負心ってやつ。厳密にはプライドには自尊心という言葉のニュアンスもあると思うけど、ここでは自負心が正しい。

つまり、「上司たるもの軽がるしく部下に頭を下げるべきではない。」とか。「この実績をあげられるものは俺をおいて他にいない。すなわち我上司なり」のように考える人。

ほんとくだらない自負心で部下に恐怖政治をするしかマネジメントの方法を知らないマネージャーは駆逐されるべきだ。でもまさかタダの恥ずかしがり屋だとすれば話は違ってくる、、、。

恥ずかしが屋さんにも色々あるねや。

これは我がとこの奥さんを見ていて気がついた。

妻は本当に言葉で言うのを恥ずかしがる。めっちゃ照れる。もちろんおじさん(私)の奥さんなのでそれなりにいい年をしているのであるが、まだまだ羞恥心レベルに関しては現役である。

これがおばさんに成り上がってしまうと、最早羞恥心のかけらもなく、世の中の全てが自分を中心に回っていると思い出すのだから、人というのは恐ろしい生き物である。

まぁそれは良いとして大きな声できちんと発言することを恥ずかしいと感じる人というのは確実にいて、またこういう人は小さい声で言ったこととか、過去に1回だけ言ったこととかを盾に、私は出来る人間だと思う節がある。ということに私は気付いた。

妻も挨拶はするのだが、声がめっちゃ小さい。他の場面でも「言ったじゃん」が口癖。口癖って言うか、聞いているこっちに届いていないから、必然的に何回も言う羽目になる。

しかしLINEスタンプは雄弁だ。

ありとあらゆる無料スタンプを縦横無尽に使いこなし。その表現力は私のそれとは比べ物にならない。いつも親指を突き出したウサギスタンプをアホみたいに連呼するおっさんに、今日もどこから見つけてきたのか、愛らしいパンダで愛を囁いてくる。

そうか面と向かっていえないことでも、LINEでならいえるのか。でもそれって恥ずかしがっているだけじゃないか。

上司のSNS

この世には気軽な気持ちでは見てはいけないものがあるらしい。

それは上司のSNS。

上司はどうやら部下(私ではない)のSNSにコメントをしていたようで、私はそれを本当にたまたま、偶然、何の気なしに読んでしまったのだ。

そのコメントがなんとも愛に溢れている。

「仕事も大事だけど子供との時間は今だけだよ」というような台詞で。

これだけ見るとなんとも思わないというより、むしろいい上司じゃないかとしか思わないんだけど、普段この上司はちょっと電話に出なかっただけで、

「なんで電話に出ないんだ!?」(いやいや、相手にも事情があるでしょ)とか。

「会社の携帯は休みであっても取らなきゃいけない」(いやいや、緊急でもないのに取らないよ)とか。

微妙にブラックな発言が漂っている。

そんな上司が子供の時間を優先しろというわけ。

これはあれか。

不良少年がおばあさんの荷物持っていたらいい人に見える、あれか。

マイナスからのスタートはいつだって人を大きくさせる、あれか。

SNSでは甘い言葉をかけている。表では毒づいて、強がって、誇示している彼。

ありがとうを連発し、他人の家の家庭事情にまで心を配る彼。

どちらが本当なのか。

そう、これはどちらも本当の彼の気持ちなのだ。

恥かしがり屋とは何か。

恥ずかしいという感情は難しい。

娘は3歳である。う○ちをするときは一人で行きたがる。そう、これぞ羞恥心。

そしてこの羞恥心という奴は成長に従い次第に大きくなる。だがある一定まで行くと、そんなに気にしなくてもということで気にならなくなるという不思議な感情。これが世に言うおじさん、おばさん症候群である。

つまり羞恥心という奴は色々と手を変え品を変え、その姿を変化させながら我々の奥底に潜んでいるらしい。

ただ一部にはおじさん、おばさんになっても、羞恥心が高い人がいる。本来は高血圧とは逆で、年を重ねるごとに羞恥心は低くなるはずなのに。

そんな羞恥心という魔物が、こじれた微妙な立場のおじさん上司の中にいると、SNSとかメールを介して表に姿を見せてくれるらしい。

大人になると恥ずかしがり屋と言っても、子供のそれとはだいぶ違う。子供は恥かしいそれが明確に分かる。体をモジモジ、くねくねさせたり、物陰に隠れたり。

まぁ上司に体をモジモジ、くねくねされたりしたら気持ち悪いけど、くだらない羞恥心で、強がられても仕事はし難いので、恥ずかしがりながら、くねくねしてても、もじもじしててもいいから、きちんと面と向かって話して欲しいと思う今日この頃である。

わっしょい


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