自己分析は間違えると致命的。自己分析のやり方、在り方。

仕事・キャリア

いい年して、自分のこと、自己分析を誤解してた事に気づいてしまった。衝撃。
 
正確には誤解していたというより、自分の事を説明する言葉が正確に的を射る表現ではなかっんだけど、それってこれまでの人生で結構重要だったのに。
 
巷に蔓延する自己分析の類のなんといい加減なことか。もっと心の内面を抉り出すような、そういう自己分析ツールが欲しい。
 

巷に広がる危険な自己判断ツール 

よくあるのは性格を表す100個とか200個の質問に答えて、自分のタイプを判定するというもの。
 
これは使い方を理解していればいいと思うんだけど、決して自分の思考、志向、嗜好を理解できるものではない。
 
だって100個の質問でも重要と思えるものと、そうでないものがあるのに、結局せいぜい10個ぐらいのタイプに分類されてしまう。
 
本当に重要なのはその一つ一つの質問をどう考えるのはず。
 
例えばエニアグラムより。
 
確かにこれらの質問に答えていくと、自分の傾向を客観的に捉える機会にはなると思う。でもそれは全体の中で、自分という存在がどのへんにいますよ、と教えてもらっているに過ぎない。 

物事を効率良くこなすのは当たり前に大切でしょ?

例えばこんな質問。
物事を効率良くこなし、成果を出すことが何より大切だ
 
効率が大切だと思うことと、個人としてそれに喜びを見出すかどうかは別の話。
 
効率云々ではなく、人に喜びを与えたいと思う人もいるだろうし、一つのことをじっくりやりたい人もいるかもしれない。
 
結果が同じで、効率の良い、または悪いやり方あったら、普通は効率良い方選ぶでしょ!?
  
効率を求めるというのは、単なるスキルであって、効率的に仕事が出来る事はプラスになることのほうが多い。 

段取り上手だからって調整好きと思うなよ

次にこの質問。
段取り上手で、手際よくなんでもそつなくこなすほうだ
 
これはなんだろう。
「あなたは調整役が適任です。添乗員、プロジェクトコーディネーターが適任と思われます。」
 
そんな感じで職業の押し売りをされるのだろうか。段取り上手で、手際が良いのは、性格なのか、好きでそうするのか、はたまたそれまでの経験からの賜物か。
 
段取りが上手くたって、それを苦痛に思う人間もいるんだぞ。

好きを仕事にして何が悪い

よく好きを仕事に”する”、”するな”、と言う議論があるが、好きは仕事にすべきで、ここでいう好きとは、例えば旅行が好きとか、そんなもんではなくて、旅行の中のどういう要素が好きなのかということ。
 
例えば知らない場所に行くことか、人の世話をすることなのかとか。
 
そして更に知らない場所に行くにしても、都会なのか、自然なのか、街なのか。
 
もし街なら、なぜ街なのか。そうやって分解していくと、それは旅行が好きなのではなくて、異なる街のルール、文化に触れることに興味があるとか、別の側面が見えてくる。

自己分析とは、好きを可能な限り深掘りすること

だから本当にすべきは、何が好きか、どんな事象が、どんな行動をしているときか、深掘りして、もうこれでもかっていう要素に分解して、かつどんな雰囲気が、どんな空気感が、どんな状況がすきかっていう全体での好きを露わにしていく。

本当ならそういう過程を人生で経ないといけないんだけど、今の世の中、上で挙げたな表面的なツールが幅を利かせていて、次の就活までに、来月の面接までに、とかそういうターゲットでしかモノを見れないから、自分の好みですら明確には理解できていない。

本当はじっくり小学校、中学校、高校と、そういう中で次第に自分自身への理解を高めていけると良いはずなんだけど。

自分を説明する言葉は可能な限り正確に理解すること。

似たような言葉とか、言い方が違うだけとか、色々あるけど、少しでもその表現に違和感を感じるのであれば考え直したほうが良い。
 
自分の場合で言えば、「新しく何かを企画して、実行するのは苦手」だけど、「既存のモノを改善する」ことの方が得意だと思っていた。
 
間違っていはいないんだけど、この前者の”苦手”っていうのは自分としてもあまり良い響きではないなと思ってはいたし、改善していくのが得意っていうのも何か違和感を感じてはいた。
 
今、やっと「新しく何かを企画する」のは、「未知との遭遇を経験する」ことに較べて優先度が低いだけなんだと気づいた。
 
つまり自分で何かを考え企画してしまうと、それは全て計画にうちであって、あくまで計画通りにこなすことが正解になってしまう。それは自分の中ではあまりおもしろいことではないんだ。
 
だから好きなものは「新しい場所、環境、未知との遭遇」ということ。 

同じ価値観を持つ友人の一言を大事にすべし。

 これは実は自分で気づいたわけではなくて、友人の一言によるもの。
 
「会社なんて予定調和な事しか起きない。日々のとんでもアクシデントに自分は喜びを感じる。」
 
そう答えた友人はエンジニアから教師への転職を果たした。
 
そして今の職業を天職とまで言っている。
 
自分もその分析には納得。確かに会社って問題は沢山おきはするけど、別に想定外の事態なんてそうそうなくて、最悪でも会社が倒産するとかその程度。
 
多分明日会社行って倒産しましたって言われても、流石に突然で驚きはするだろうけど、まぁそんなもんなのかって受け入れられる気がする。
 
ちなみにだから起業するというのとは少し違う。上でも述べたように、起業っていうのは自分のやりたいことを仕事にするわけで、決して未知との遭遇を求めてするものじゃない。
 
むしろ想像する、計画する世界に状況を近づけていく作業。

最後に 

自己分析なんて結局は自分で考えて、結論出すしか無いんだけど、こういう友人がいると助かる。

的確に本質をついてくれる。

会社にはそんな人皆無だからね。

少し離れた所で、世の中を客観的に捉えることができるこういう友人が大切です。

完全に出遅れた感はあるけど、少しでも前に進んでいると思うようにしますか。

わっしょい


タイトルとURLをコピーしました