丁寧に生きるということ。暮らし作りをするということ。

思うこと

今後何をしたいか、どうやって生きていこうかを考えている。

真剣に考えている。

いい年して?

否、いい年だから。

方向性は決めていながらも、なかなか具体的なところで詰めきれていないけど、色々と模索していけばそれなりに見えてくるものもある。

あとは実現できるかだけど、これは少しずつトライしてみるしかない。

 

純粋に、丁寧に暮らしたいだけという結論

具体的なところは少しずつ書いていければと思うけど、その根底にあるのは丁寧に暮らすって言うだけだったという事に気付く。

もっと言えば、自分は暮らしを作りたいのか、と。

でもそれって当たり前だと思うんだけど、、、。

暮らしを作るって表現が正しいかはわからないけど、今のというか、現代の生活はものすごい虚構感が強いというか、脆弱というか、あまりに現実感がない。

だからみんな将来に不安になるし、”余生”の準備に全力を尽くすという、冗談ともつかない事態が発生する気がする。

マズローの欲求段階説

いきなり何をと思うかもしれないが、最近この超有名な説に疑問を感じてきた。

今はどうだか知らないけど、私のときは小学校だか、中学校でやった気がするので、内容を熟知していなくても何となく聞いたことがある人が多いはず。

簡単に説明すると、人間の欲求には以下の五つの段階があって、最初は食べる、寝るとか動物的な欲求が、安全とか、他社からの承認とかに上がっていって、最後は自己実現になるという。

自己実現の欲求 (Self-actualization)

承認(尊重)の欲求 (Esteem)

社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging

安全の欲求 (Safety needs)

生理的欲求 (Physiological needs)

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/自己実現理論

まぁ別に変なことを言っているわけではなくて、そうだろうなーという感想が一般的だと思う。

でも一つ誤解していたのか、段々と一つずつステップアップすると思っていたけど、そういうものではないということ。

少なくとも私には安定していると”言われている”収入があって、それなりに生活できていて、こうやってやりたいことを模索しているんだけど、同時に食うものと、安全を確保するという不安を常に想像する必要があるという現実

なんて危うい、薄い氷の上を歩いているんだ。

もちろん最悪貯金切り崩すとか、家族の助けとか、バイトするとかで飢え死にする心配は無いと思うけど、なんかこれまで頑張ってきたのにこんなに磐石じゃないのはなんでだ?

ある程度行った人には少なくとも1,2段階目は心配しないぐらいの世の中であってほしい。それは生活保護とかそういうことじゃなくて、もっと精神的な支柱が。

まぁこれは日本人特有の将来を心配しすぎる癖によるところなのかもだけど。

お金に頼りきった無限ループを抜け出したい

自分で作った暮らしじゃないものはすぐに壊れる。

とりあえず食べ物買って、車かって、家買って。

一見、一歩一歩欲しいものを揃えて、充実しているように見えるけど、金無くなったら一瞬で崩壊する砂上の楼閣。

当たり前だけど、買うって行為は売買が成り立った時点で完了している話で、次の購入までにまた資金を用意しないといけない。

この無限ループを永遠と死ぬまで繰り返すのか。

理想の在り方を考える

もちろんお金がいらないなんて思わない。

少なくとも自分が生きている間は貨幣経済の恩恵も受けるでしょう。

それでも生活、暮らしの最低限の部分を自分で作り上げていけば、何かトラブルがあっても自分で作り上げた部分に帰るだけで済むだけなら、大した話じゃない。

そんな気がする。

プリウスだってガソリンと電気のいいとこ取ったし、自分でできることは自分で発電して、必要な部分だけガソリン買うみたいに、社会としてお金で回していけばいいんじゃない。

最後に

今日は愚痴にもならないモヤモヤを吐き出す日。

書かないと分からないこともあるし、後で読み返して気付くこともあるでしょう。

 

以下は起業とか大それたことじゃなくて、生きていくことができるを教えてくれる本。

さらっと読める。

身に染みます。

 


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