校長先生の話がつまらなさと、上司のつまらなさ

仕事・キャリア

覚えている限り、校長先生は頭が良かった。偉人のエピソード、格言から学生にここぞと言う話をする。よくもまぁ毎回毎回色んな引き出しがあるもんだと感心したのを覚えている。
 
私も人並みの知能は持っているはずなんだけど、この「かのXXはこう言った」みたいなものを覚えることができない。歴史は好きだけど、多分過去にも、知らない人にも興味はないんだと思う。
 
ただこの技をちょっと人前での発表の際に使うと、「お、こいつ只者じゃない」オーラがめっちゃ漂って神々しい。うらやましい。
 
そんな神々しい技を多く持っている校長先生って人はやっぱりすごいとは思う。

残念かな、心どころか記憶に残っている校長先生は一人もいない。

ただ実際校長先生が話題になるのは、その話が長かったこととか、何人の生徒が貧血で倒れたとかそんな程度。(実は本当は言うほど覚えてない)
 
絶対何度も人生の教訓になるいいお話を頂戴しているにもかかわらず、何も心にのこっておらず、そして私はまだ人生に迷って、悩んでいる。
 
恐らく、校長先生の話をきちんと理解していたら、もう少し楽に人生を切り抜けられてきた気がするのに。

なぜ校長先生の話は残っていないのか

私の中に校長先生が残っていないのは、ある意味し方のないことかも知れない。あんまり人の話にも興味ないし、過去の偉人も然り。
 
でも世の中に出された校長先生の話の量と、残っているその量が違いすぎる。こんなにも残らないものなのか。
 
そう、これの答えは簡単で、校長先生は順番を間違っているのです。いい話をするから、校長先生が崇め奉られるわけではないのです。
 
崇め奉られて初めて、人はその人の話を聞くといういうもの。
 
その一つの手段としてなんとなく偉い人の名前借りちゃって、話し出すと、賢い人アピールは出来ても、誰もついてこなくなるという残念さ。そもそも校長はそんなこときにしていないってこともあるかもしれないけどね。

世の中に跋扈する人の格言を使いたがる賢い人たち

ただこの色々な歴史からの学びだとか、格言を使いたがる人は結構居て、この前も「孔子曰く、、」とか「武田信玄と上杉謙信は、、」とか。
 
話を聞いているほうからすると、その諺とか、エピソードがすごいのはわかったから、現実問題直面しているこのプロジェクトなり、問題についてきちんと議論させてって思う事態に遭遇。
 
そんな話されても、「あぁ、そうですか」という感想しか出てこない。この方は社内でも頭がいい人で有名で、私自身はそこまで仕事したことなかったんだけど、正直いきなり仕事始めでこんな話されたんで、残念な印象しか抱けない。
 
まずは信頼を得るためには、そんな小難しい話ではなくて、きちんと目の前の人間に向かって、その人が何を考え、何に対して喜び、何に対して怒るのか。そういうことを疎かにせずに向き合って欲しいって思うんですがね。

最後に

0からビジネス起こすとか、まったく新しいサービスを世に出すとかでなければ、仕事なんて予定調和のことがほとんどなんよ。だからまず重要なのはきちんと話すことだとおもうんです。
 
あなたが頭いいのはわかったから、人の話を聞くことをまずは覚えましょうってね。
 
そしてこういう人は往々にしてポジションが上なので、あまりその辺を注意してくれる人がいないという残念さ。
 
まぁ聞き流していきましょう。
 
わっしょい
 

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