転職の第一歩。どうにかなると信じること、どうにかしようと行動すること。

仕事・キャリア

大企業と呼ばれるところを辞めた。そして今は中小企業と呼ばれるサイズの会社に入って働いているわけだけど、次はどうしようかと考える日々。

転職してどうだったかと言えば、正直リサーチ不足だと思ったり、やっちまったなーと思うこともあるけど、じゃぁ転職それ自体を後悔しているかというと、そんなことはない

何を(ここでは転職)についてはやってよかったけど、どうやっての部分が足りなかったと言うだけ。

そして過去やっちまったら、またそれを活かして次に移ればいいだけで、その方向性も大体決まってきたし(転職って言うよりは、転業っていう感じだけど)、少なくとも現状維持って言うのは選択肢にない。

 

過去の栄光にすがりすぎる人々

恐らく現状に不満タラタラなのに、それでも動けない人というのは、現在の成果が今までの投資の賜物だから、って考えてしまう。

「今までこれだけ勉強したんだ」、「就活頑張ってやっと就職したんだ」、「毎日徹夜して頑張って出世したんだ」

それで転職したら、リセットされるんじゃないかと思ってしまう。

本当はそんなことなくて、何かは自分の中に息づいているはずだけど、なかなかそこは気づきにくい。

どんな記憶に頼るか

やはり「どうにかなる」と思えるっていうのは一つの才能かもしれない。そこから「どうにかしていく」のはもう少し具体的な、能力とか、努力とか、運とかによるのかもしれないけど。

 

で、敢えて言えば「どんな記憶に頼っているか」という違いじゃないかと思う。

僕自身を振り返ると、「想定外のことがあっても、どうにかなるだろう」と思ったから辞めた。それは、過去の人生で「どうにかなった」記憶の方が強いからだ。

ところが、多くの人は「頑張ったから、うまくいった」という記憶を頼りにしているようで、こういう人は会社を辞めにくいんじゃないか。

共感。

私は過去頑張らなかったわけじゃないけど、「絶対にここにいく」という理想があったわけじゃなく、常にそのとき選べるベストを何となく選んできた感じだから、あまり得たものに執着がない。

だからか「どうにかなった」記憶が強いのではなく、過去のことをあまり覚えていない(記憶障害?)ので、それに縛られることが無い。

これがいいんだか、悪いんだかわからないけど、とりあえず人生色々あるけど、楽しいかなって思える側にいるのは幸せものなんでしょう。

過去と今と未来は本当は繋がっていない。

多分世の中って、現在は過去の延長だと思っていて、未来は現在の延長だと思われていると思うんだけど、ちょっと違うような気がする。

基本的に過去と現在と未来は独立しているんじゃないかと。

もちろん過去があって、それに引きずられて次の事象は起きるのだけど、例えば個々の人生においては、別に昨日まで料理人だから、明日も料理人でなくていいわけ。

細かく言えば、現状留まるという決断をいつも誰かが無意識的にしているだけ。動かなかったら過去を踏襲するしかないからね。

この辺の感覚がなかなか共有できないのがもどかしい。

スキル、経験はそのまま過去も未来も活きている。

だから例えば今料理人である人は、将来も料理人である可能性は高い。でもそれは将来を保証するものではないし、別に明日から大工になったっていい。そこは完全に個人にゆだねられている。

料理人とか大工みたいに明確にスキルを可視化できるのは分かり易くていいんだけど、そうじゃない総合職サラリーマン(何の専門性もない何でも屋)は将来を変えたら過去が消えてしまうような気がするのはわかる。

でも実際は見えないだけで何かは残っているはず。

ここを自分で説明できたり、可視化出来ると前に進みやすくなる。今の時代はそれを資格に頼りすぎている。

”どうにかする”に集中する

あとはもう”どうにかする”に集中するしか無い。

どうにかなると思っていると、何かあったときに”どうにかしよう”と動ける。

そして、”どうにかしよう”と動くと、物事は大抵どうにかなる。

結局なんでもいちばん重要なのは、実行のプロセスにあって、そこでどこまで頑張れるかが重要。

最後に

とりとめもない備忘録になってしまったけど、もう少し考えてみる必要あるか。

転職する人は、最悪自分の生活はどうにかなると自分軸で考える。

転職しない人は、最悪この会社が潰れることは無いと会社軸で考える。

そういうことかな。

わっしょい

 


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