当たり前を疑う、違いを受け入れるということ。愛社精神という幻想

仕事・キャリア

前日からの続き(読み難かったから二回に分けてみた)

 

愛社精神という幻想

実はこの方「ベトナムが信用ならない」の言葉に続いたのは「愛社精神がない」という言葉。
 
この一言にはちょっとドキッとした。だって私も愛社精神なんてなかったから。それは今の会社に限らず、永く勤めた前社においても持ったことがない。
 
加えて愛社精神の意味がよくわからない。
 
強いて言うなら愛着ならまだわかる。全く同じ製品を世に送り出しているとして、自社製品を使う。もしかしたら多少高くても。だって愛着があるから。
 
でもこれは愛社精神とは全く違う。

会社を愛するってなんだ?

会社なんてただの箱じゃなかったのだろうか。
 
株主から見れば、社会から見れば、など色々な見方があるだろうけど、社員から見たときの会社は利益を集めて、給料を分配するだけの箱だ。 
  
愛社精神とは会社に対してではなくて、人に対して発生すると思っている。
 
いい先輩、いい上司がいる。そしてなにより経営者の行動、言動に共感できる。そんな良い人材を受け入れている箱に段々と愛着が湧き、もしかしたらそれを人は愛社精神と呼ぶのかもしれない。

良い人がいない組織は好きになれない

だからただ声高に愛社精神云々を語っても、自分がないがしろにされていると感じたり、

仕事そのものに面白みを感じることができなかったり、不公平感を感じたりしてたら、まぁ愛社精神など持ちようもない。

多分世の中に蔓延するそれは愛社精神などではなくて、単なるブランドを持つことでの優越感が多数なんじゃないのかな。

どれだけ先進的で、有名で、高給なところで働いています、というような。

XX自動車、XX商事、XX電力、XXテレビ etc。

それは愛社精神じゃなくてただの優越感ですな。

誰かに自分を押し付けても幸せにはなれない

そんなことを思いながら、そんな”疑惑の愛社精神”すら、世界の中では少数派だよなと思う。

ただでさえ抽象的な会社を愛するという行為を人に押し付けるなど、どう考えても不合理で、結果誰も幸せになれない。

だったらとりあえず自分の愛する会社が、人に受け入れられなくても、まずはなぜ他人は会社を愛せないのか、そのように行動するのか、感じるのか、調べて、自問自答するぐらいの努力はしてもいい。

自分の当たり前を疑う勇気

そうしたらたまたまそのエリアに、年代に、特別な理由があるかもしれないし。

彼らの違いも受け入れていくし、我々の考えを理解されないという事実も受け入れていく。

そんな時にはたまに自分自身を疑ってみても良いんじゃないのと思うのだけど。

少なくとも自分自身の価値観を確認するいい機会にはなるでしょ。

Steve Jobsも言っているよ。

「Think Different」

わっしょい

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