春爛漫。まだぎりぎりやる気があります。
さてこのブログの更新であるが基本”毎日”である。
勿論、様々な要因によって出来ない日はあるので365日とは言い切れないが、書きたくて書けない日はあれども書けるけど書かない日はこない、、と信じる。
そう、早速くじけるわけにはいかないのである。
さて今回は以下の書評でやんす。
“かわいがり子育てー3歳までは思いっきり甘えさせなさい”
ページ数もそれほど多くないし、文字も大きく隙間だらけなのでとりあえず気になるテーマのところだけさらっと読むぐらいの気持ちでいいと思う。
中古でも10-200円からとかあるし、私は図書館で借りたのでそういう意味でもさらっと手に入れて、まずは目を通しても大きな損は無いと思います。言ってることは至極まともです。
内容的にはかなり色々書いてあるけどその副題の通り、3歳まではとにかく可愛がれと、そういうこと。
そういう意味では何ページ語ろうがとにかくその一言を実践すればいいような気もするけど、本って結局そういうことですから。
言いたいことを品を変えて何度も繰り返すことに意味があるわけです。ただいくつかそうだなと思うところがあったのでエッセンスだけご紹介。
過干渉と過保護の違い
過保護の意味を過干渉と勘違いする人が多いのでこれはまず明確にした方がいいでしょう。
ここでは過保護はいいけど、過干渉はダメよ、と。
つまり子供がしたいことは最大限させてあげる、親がよかれと思った余計なお節介はいらんと、そういうこと。
ここでのお節介は内容はなんであれ、世間的には正しくとも子供が納得のしないもの全般を指します。
それは子供の望みですか?
例えば電車の中で大声で叫ぼうが、食べたいものだけ食べ続けようが、それが子供の望みなら過保護という観点からはOK。
ただそう言っても体に悪かったり、周囲に迷惑をかけるのは別の問題ですからそれはそうならない環境に可能な限り作り出すのは親の努めなわけです。
そう考えると非常に分かりやすいなと個人的には思いました。
子育てしてるとたまに叱るべきか、そのままにしておくか悩むんです。
でも3歳までとか、まだ小さいうちは、危険とか明らかな害が無いものは基本的に制限する必要がないんだと割りきりができます。これって結構重要じゃないでしょうか。
どうして子供を叱ってしまうのか。
自分を投影してしまうですね。自分が失敗した、ああしとけばよかった、あの人のようになって欲しくない。身に覚えがあります。
例えば私は”うるさい”という言葉を禁じました。
これは妻がよく使う言葉で私が嫌いなんです。
だからそこだけ徹底的になくそうとしたけど、子供からしたらうるさいがどういう状況で使うべきものかも分からないはずなんで、それ自体を制限しても何の意味も無いなと気づきました。
どんな言葉でもそうだけど、TPOをわきまえて言葉が選べるようになるのは成長してから徐々にわかるようになってくるやね。
なんなら”○んこ”とか連呼してるし。なんで”う○こ”は良くて、”うるさい”はダメなのか。
私もまだまだのようです。
話しかける、わからなくても沢山。
これは必要。
更に言えば、赤ちゃん言葉を使わないほうが良いのではと思います。
(これは個人的な意見)
何故か、赤ちゃん言葉を話すのってそもそも赤ちゃんには発音しにくいものを簡単に言える様にと思うんですが、別に3日で言えるようになるか、10日で言えるようになるかに、大きな違いは無いでしょう。どうせ必要だったら覚えます。
何より親として、一人の人間としての考え、気持ちをきちんと伝えるときに赤ちゃん言葉なんて使ってたら気持ちがはいりません。
自分の考えを音にして発して、伝え続けるって言うのは親にとってもいいんじゃないかと思うんですな。
仕事でも説明して、初めて理解するってありますよね。
まつ、の~んびり待つ
必要なのはわかるけど、難しい。
大人だったらものの数秒で出来ることをずっとやってるわけだからね。まぁこれは可能な限りそうしようとするぐらいでいいかな。
こっちだって急いでたら待たないし、
でも時間があるときはたっぷり時間とってあげるくらいの気持ちじゃないと親の体が持ちませんから。
夫婦間の会話
意外と重要だと思ったのがこの項目。
単純な育児を分担している家族が良いといっているのではなく例えば仮に父親が忙しくてほとんど出来ていなくても状況を理解していればOKということ。
それはそうだな、と思う。
うちは幸いなことに私は結構早くに帰れるし、土日も1日+αはフルで遊ぶぐらいの時間的な余裕はあるけどそうじゃない家庭も多いだろうし。
仕事だってなんだって、知ってるか、知らないかって結構違いますよ。
まだまだあるし、書き始めたらきりがないので、しばらくは徹底的にやりたいことをやらせてあげようと思った今日この頃です。
わっしょい