無慈悲なカラカラ待機児童政策

子育て

どうもTarfです。
 
この国はカラカラの砂漠のようです。それも砂しかない不毛大地ではなく、背の低い草がある荒野が広がっている感じ。

そう強いものしか生き残れないのです。

 
というのも、来年から我が子も幼稚園に通わなければいけないらしく、よさげな幼稚園を探しております。
 
で、ふと実家の近くで自分が通っていた田舎の保育園って、今はどんな感じなんだろうと思って調べたところ、そう易々と入れる状況ではないことが分かりました。
 
私が子供のころは、地元の子はみんなそこに通って、同じ小学校に行ったわけです。
 
待機児童云々が叫ばれていますが、まぁ首都圏、地方都市でも駅前の話だと思っていたので、まさか自分の母校?母園?であるところまで待機児童がいるとは思いませんでした。
 
世の中どうなっているのでしょう。
 
もちろんこれが改善の結果だったらよいのですが、そうでないことは昨今の状況をみればわかります。
 

お国のスタンスはどうなっているか。

一時期だいぶ問題が大きくなってからちょっと時間経っているので、何か変わっているかと思ってみてみました。
 
“平成27年度までの3年間で約31.4万人分の保育の受け入れ枠拡大を達成” by厚生労働省
 
 
なにをドヤ顔で達成とか言っているのか理解に苦しむんですが。31.4万人がなんだかよく分かりません。その数字はどこから出てきたんでしょうか。
 
もちろん厚生労働省はお役所なので限られた予算の中で最善の道を見つけるしかないんですが、そもそもゴールはどこなのか。達成してもこれだけ困っている人がいるって、もともとのターゲットが間違っていたという振り返りはないのでしょうか。

ラーメン屋じゃあるまいし、、、

 
基本的に待機児童とかあってはいけない事象ではないでしょうか。
 
1万人とか1千人とかでもなく、0であるべきです。常にね。ラーメン屋の行列じゃあるまいし。
 
ラーメン屋だったら1時間待てば入れますよ。
 
でも待機せよ。待っててって。1年、2年?そのうち小学校に上がって義務教育になるわけです。
 
その間に母親は働くことをあきらめ、パートで小遣い稼ぎに向いてしまうわけです。それは待機児童ではなく、あきらめ児童ですな。 

このちょっとづつ改善マインドは誰の心にも潜む 

改善、カイゼン、Improvementといえば日本の製造業のお家芸です。
 
トヨタに代表されるこの改善マインドは製造業ではいいと思うんですが、悪影響として、日本人にそもそも論を語ることを下手にしてしまいましたね。
 
そもそも論を語ると、「そんなこと言ったって現実は」「これだけ改善したからとりあえずOK」と語る人のなんと多いことか。さらに悪いケースだと、そもそも論自体を語る意味がわからない人が多いですし。
 
全部は無理だからこれだけやるんだ、前よりはいいんだから文句言うな、というこの風潮にはちょっと耐え切れない残念さが漂います。

どれだけの潜伏子育て難民がいるかに想いを馳せられる人はいないのか

ちょっと愚痴っぽくなってきましたけど、うちなんて元々保育園なんてあきらめてるわけです。
 
応募すらせずに、もう妻は専業主婦でいいやと、幼稚園いってからパートでも探すからいいやと、本当はちゃんと働けるところがいいけど、まぁしょうがないってなっているんです。
 
もちろんそれでも何とか食っていける稼ぎがあるわけです。
 
そうすると生活保護世帯の方に大目の手当てを出します、1人の子供よりも、3人の子供をもつ家庭に多くの手当てを、、、。
 
でもそれやり始めたら、みんな少しづつ無理して、不幸を分担している感じですね。折角手当て貰っているのに、なんか幸せになりきれていない。 

誰もが貢献できる子育ての道を考えたいとおもいます

私もあと何年かして子供が小学生にでもなったら、それどころじゃなくなって待機児童問題など忘れていくんでしょう。

でも少しだけでも、こういったところに貢献できる大人になりたいと思い、今後のキャリアを練り中です。

少なくとも、一度でも子育ての大変さを味わったら、それに苦しむ人への手助けの必要を感じずにはいられないわけです。
 
ちなみにここで言う子育ての大変さっていうのはオムツとか夜泣きとかではなく、社会としてのサポートの少なさです。
 
別に保育士になるわけでもありませんが、子供は好きだし、無理の無い範囲で始められることをしたいと思います。
 
具体的に何かはもう少し模索させて頂ければと思います。
 
わっしょい

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