ボーナスに生活を、心をコントロールされる不幸

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社会人になって、生まれてはじめてのボーナス5万。
 
新入社員で、4月に入ってまだ研修しかしていないのに貰えた夏のボーナス。
 
夏のボーナスは昨年度の労働に対して支払われるわけで、別に会社からしたら払う必要はないわけ。それでも払うってんだから太っ腹。
 
いい会社なのか、ただ考えていない会社だったのかはわからないけど、貰えるもんは貰うわな。
 

ボーナスがなくたって悲しくなんかない

そんな新入社員にもボーナスを支払う甘えた会社を飛び出し、さて今の会社は、ボーナスがない。
 
今年のボーナスがなかったのではなく、そもそもボーナスという制度がないのだ。
 
だからその額に一喜一憂することなく、夏は夏なりに、冬は冬なりにただ過ぎていく。
 
給料も年俸制ってことになっていて、その金額を12等分して毎月の給与として支払われる。
 
とは言っても別に野球選手みたいに50%アップ、ダウンみたいな事態は基本的にはなくて、評価に応じて、良くても年間数%アップとか、昇進すればそれに合わせて大幅アップするかも、と言うかたちである。
 
別に月の給料が30万だったら年俸360万だし、月の給料が100万だったら年俸1200万という、ただそれだけの話。

ボーナスってなに?

そうするとボーナスってそもそも何なんだという疑問が湧く。ボーナスそれ自体は賞与である。それは言い方はおかしいかもしれないが、貰う側からしたら臨時収入であり、決して払わなければならないものではない。
 
だから会社によってその考え方はまちまちだし、払われない会社も、年一回の会社もある。
 

払われなくてもしょうがないモノ、それがボーナス

これは世間の共通認識だと思うけど、ただ払われなかったらそれはそれで問題があるというのも事実な訳で。

実際ニュースでは前年比何%など、景気を測る材料としても用いられている。
 
一般的には年2回、夏と冬。今年は景気が良いし、業績が良いし、頑張ったし。色々と理由はつけるけど、そんなのはどれも後付で、結局それがないとやれないようになっている世界でもあるという事実。

ボーナスが都合が良いのは会社にとってだけ

 
会社側からすると、ボーナスだから、最悪払わなくても良い訳で、ちょっとした都合でアップダウンしたり出来る。その利便性はわかる。
 
今年は業績悪いからっていきなり給料下げるのは難しいけど、賞与であればそれなりに簡単に変更が可能。
 
ただ何が悲しいって、みんなそれを当てにしないと食っていけないように飼いならされている。
 
これが本当に臨時収入だったらそれは貰えたら特別で、貰えなかったら普通というそれだけなんだけど、貰えるとモノという期待感が裏切られるのは不幸この上ない。 

ボーナスは心の平穏を乱す

昔はよくボーナスで高い買い物した。
 
ボーナスのたびに気持ちが大きくなって、あれもこれもって。
 
もしくは少しずつ貯めこんだ負債をここで一気に解消とか。
 
思えば世の中にはボーナス払いなんて言葉も普通にあるぐらいで、ローンをボーナスのときは少し多めに支払うとか。それはボーナスを貰える前提ですよね、という制度があったりする不思議。
 
だから”臨時収入で生活を回して行くのはおかしいと知っとかないと。一年に一度とか二度しかない”臨時収入”は、折角毎月節約、倹約に努めている習慣をいとも容易く打ち崩す。
 
それでも我々の物欲はとどまる所を知らず。
 
というわけで、IPadProが欲しくなってきた。ボーナス無いけどね。
 
わっしょい

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