友人がやたら人の幸せに敏感になっている。これも全てはFacebookのせいだ。
友達の週末のアクティビティが楽しそうだとか、子供とのひと時が楽しそうとか。
それに比べて自分は仕事にあけくれ、プライベートもそれなりには色々しているけど、そんなに煌びやかな、華やかな日々を送っていない、と。
正直そんなことを言うと思っていなかった友人だけに上手く言葉をかけられなかった。
誰もそんなに刺激的な毎日を送っていない
少し考えたら当たり前の話なんだけど。週末のアクティビティが楽しかったのは本当だろうけど、平日はストレスを感じ続けているかもしれない。
子供とのひと時が楽しいのは本当だろうけど、子育ての苦労なんて、旦那とのケンカなんて、わざわざFacebookにあげたりしない。
確かに私の回りにも、うらやむ様な人生を歩む人が何人もいる。海外にいたこともあり、世界中から近況が寄せられる。
本人には普通でも、南の島のホテルのスイートルームでパーティーに明け暮れる毎日(実際にはたまにだと思うけど)、誰も行った事の無いような未踏の地で新たな事業に取り組む光景、大きなプロジェクトを纏め上げた表彰式の写真。
羨ましい。
でも知ってる。本人が誰よりも努力したことや、自分の労苦をいとわず人の手助けが出来る人であったり、休みを取るだけの準備をしていることを。
だから羨ましいとはおもうけど、それ以上はない。強いて言えば元気でやってるな、ぐらいか。あとは自分だったら何をするか、ただそれだけ。
SNSなんて所詮はただの連絡手段
自分を振り返ると、私は昔からネット上のコミュニケーションが下手だった。メールはもちろん、Mixi、Facebook、LINE,,,便利にはなるけど、邪魔なことこの上ないのも事実。
だからか、私にはいわゆるスマホ依存のような症状が出にくい。Facebookでは投稿しないし、LINEの未読が溜まっていても気にしないし、何より友人に私はそんなもんだという態度でいることが大事なんだけど。
一応弁解しておくと、新し物好きで、情報を学んでいて、それなりのITリテラシーはあると自負はしてる。TwitterもFBもかなり初期にアカウントは作ったし、今でも新しいサービスを見つけるたびに、とりあえず使ってはみる。
ただSNSを”便利のために”使うというだけ。メールだって、LINEだって、基本的に業務連絡以外には使わない。
恋人同士がするような、意味の無い言葉のキャッチボールには、申し訳ないけど何にも興味がない。「起きた?」「何してる?」。会って話せと言いたくなる。そんで、話したかったこと、くだらない時間を過ごしたかったことを溜めるに溜めて、会ったときに爆発させればいい。
こんな性格だからなのか、あの仮想空間でのやり取りに幸せを感じたことは一度もない。誇張ではなく一度もない。というか誰もあそこで幸せになれないと信じている。
SNS、インターネットが無くても生きていける
確かにSNSは生活を一変させたかもしれないけど、それは利便性という観点だけで、幸福度に関しては何も貢献していない。
別にディスる訳じゃなくて、単に使い方の話。バカとはさみはなんとやら。
はさみはモノを切る為にあるのであって、それ以上でも以下でもない。はさみに幸せを求めちゃだめだ。
Facebookも多分そこは分かっていて、だからメッセンジャーのアプリを独立させたんじゃないかと、一人納得している。
ちなみに私だってずっとFB見てたら、友達の投稿とか気になる。だから、IPhoneの中のFacebookのポジションは5ページ目ぐらいのかなり階層の深いところに位置していて、普段は気にもならないようにしてる。
スマホにかなり距離のある私がこんなんなんだから、普通の人はアプリ削除するぐらいしないと。
とりあえず友人にはFacebookは見るなとは言ったけど、あの調子じゃまた見るな。今度飲みにでも誘ってみるか。
ということで、Facebookメッセンジャーで連絡をとるわけだ。
わっしょい