レビュー依存症。読解力だけでは解決できないレビューの深み

思うこと

先日病院に行った。

今までに感じたことの無い違和感を喉におぼえたからなんだけど、何となくこれが扁桃腺が腫れるというものであろうことは、もうすぐ40歳に到達するであろう私には容易に想像がつく。

一応調べると喉頭がんやら、その他大層な名前の病気の可能性もあるが、それだったらそれはそれでしょうがない。

とりあえず症状としては大したことはなかったし、しばらく放置していたのだけど唾を飲み込む時にいつも違和感を感じるストレスと、一向に良くなる気配がないので朝起きた瞬間に思い立って病院に行くことにした。

Googleという検索モンスターは我々の見方

もともと妻と子供が近所の耳鼻咽喉科に行っていて、評判も良さそうだったのでそこにいくつもりだった。でもなんと当日は休み。

しょうがないので別の病院を探すことに。一番の優先事項は家から近いこと。ちょっと歩けば色々とあるが、ちょうど良い距離にある病院を調べる。

そう、我々にはGoogleという検索ツールがある。

レビューに惑わされる

そして一つ病院を見つける。

しかしここで問題が発生。

Googleで病院を調べると、病院のWebサイトとは別に、口コミサイトや、Google自体のレビューページが検索にヒットする。

もちろんこれから行く病院の評価は気になるのでそれを読むことになるんだけど、もともと行きたかった病院はそれなりに平均値が高いのに、新しく見つけた病院のレビューがやたら低い。

正確にはレビューが高い人と、低い人が両極端。日常生活において可能な限り心の波風は平穏にしておきたいから、悪いといわれているところにあえて行きたくはない。

けれども、背に腹はかえられず実際にその評価が低い病院に行ってみる。

レビューと現実のギャップ。すこぶる良いという現実

結果的には何の問題も無い、というかむしろ良い病院、良い先生。

目の前の扁桃腺の腫れという事象だけでなく、その背景となっている問題を探ろうとしてくれる。

薬の飲み方とか、病気への考え方についても自分の意見を伝えてくれる良い先生。

昔に行った内科の先生はちょっと喉見て、「腫れてるねー」で薬出されておしまいだったので、今後は喉鼻系の風邪はやはり耳鼻咽喉科だなと思った次第。

病院の何が良くなかったのか。レビューを再度見直す

口コミには、”自分の考えを押し付ける先生”とか、”話を遮って”とか、”なかなか治らない”とか書いてあった。

これだけ聞くと、非常に傲慢で、患者の話なんてに耳を傾けないモンスター医者を思い浮かべる。

でも今までに患者の話を聞かない先生なんて見たことない。ただ患者の”意見”には耳を傾けない先生はいるでしょう。というか、患者の意見なんて知ったこっちゃ無いと思うんだけど。

よくよく考えればわかるけど、先生は忙しい中でより多くの患者さんを、出来るだけ待たせることなく診ようとしている。

そりゃなんだか的を射ない患者の言うことなんて、のんびり聞いている暇は先生にはない。

それに先生が自分の考えを持たずに治療するって、それの方が怖い。もちろんその考えが患者の考えと合わない場合もあるでしょう。でも仮にも医大出て、それなりに経験を積んだ先生の考え。合わないなら別の病院に行けばいいだけだし、あえて口コミで低評価を与えるのもどうなんだろうか。

しかも仕舞いには「なかなか治らない」って。そりゃ自分の自己治癒力の問題。もちろん何か病気を見落としていたりなどは可能性としてはなくはないけど、そしたら他の先生のセカンドオピニオンもらうとかすればいいだけ。その判断も自分次第。何でもかんでもお医者さんに責任転嫁はよろしくない

結局のところ、解釈の仕方一つなんだけど、そもそも病院に口コミ書くなんて人種自体が私とは違う世界の住人だったということに今更気づく。

それでも器の小さな人間は気にせずにはいられないという悲しい事実。

Amazonと病院の口コミの違い

最近はAmazonに代表されるレビューサイトに惑わされすぎて、本当にいいものを表面的に判断しすぎてしまう。

一応踊らされすぎないように、プラス、マイナス、両方の意見を見るようにはするし、出来るだけ文章の中身から、その内容の信憑性、自分との価値観の一致が見られる人の意見を参考にはしようとするけど、その作業にも限界がある。

病院のレビューに関して言えば、病院に口コミする人なんて私の価値観ではありえないので、かなり細かい人(モンスターxx予備軍)といえなくもない。

病院レベルの分野であれば、Amazonレビューみたいに軽いものではなくて、担当医、設備、病気の種類などの条件を明確にして、そのときの状況まできちんと書けるレベルじゃないと意味はないかも。

そうすると最早レポートのレベルになりそうな勢いだけど。

食べログにみる価値観の違い

そういえばつい先日も食べログで手痛い失敗。

そこまで美味しい店を探してたわけじゃなくて、気合を入れて探さなかったというのもあるけど、見た目だけは良いくせに、値段ばっか高くて、大して美味しくない店。

それなりに評価はチェックしたはずなのに、情報が古かったか、それとも単に用途を間違えたか。

それでもその少しの量で、何となく良いお酒を飲みたいって人なら評判は良かったのかも。

今まで数限りなく使ってきた食べログですらこんな失敗するんだから、病院の口コミなんて推して知るべし。

最後に

人の意見を参考にするのは大事だし、レビューを見ることで新しい発見は増えて、無駄なものに時間を費やす愚行は減ったけど、それに踊らされる今の自分はあまり格好の良いものではない。

人の評価が高いものイコール、自分の評価が高いって勘違いによって、微妙に発生するこの違和感を早く払拭したい。

そのためには全部自分でコーディネートできるぐらいにならないといけないんだろうな。

もういい年なんだし、自分の絶対評価で生きられる世の中で生きたい。

 

そのためには色々と試行錯誤しているんだけどね。

参考にすべきなのは、意見ではなくて、生き方そのものということなのかもしれない。


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