決断はしんどい。
何かを選ぶ時、そのメリット・デメリットを並べあげて、総合的に自分が良いと”思う”方を選ぶ。
ただあらゆる可能性を列挙して、色々なシミュレーションをして、自分すら分析しても、それでもベストな道を進めるという保証もない。
そこに生まれるのは後悔しかない。
そもそも選択肢の中にはマシな解はあっても、これだって良かったと思える選択肢なんてないかもしれないのにー。
反事実は検証できない。
反事実っていうのは、実際に選択した道とは別の選択肢を選んだ未知の現実の事で、これは検証しようがない。
だから人はあっちを選んだほうが良かったとか、後から後悔をするわけだ。
でもこれって最初に選択肢がある前提。
仮に全ての道をAIか何かがBetterな選択と言うか、もはや進む道を最初から選んでくれていたとしたら、反事実すら存在しない。こんな楽なことはないな。
人間は決断をしなくなっていくんじゃないか。
この決断をしなくなるという方向性は少しずつこの世界を侵食しているような気がする。
何かを買うときだって、やたらとレビューを気にする。
自分で良いものが見つからないと、おすすめ・レコメンド機能みたいなのを参考にすることもある。
でもこれって突き詰めていけば、もう決断しなくても良いってことなんじゃないかって思う。
だって評価が高いものを買って、低いものは買わないということ。ここに好みの要素をもう少し複雑に織り込んだら、自分で検索する必要なんてなくなる。
同じ服を着るという効率化
例えばスティーブ・ジョブズや、マーク・ザッカーバーグは同じような(同じ?)服を着て、決断力を別の大事な場面に取っているらしい。実際私もお気に入りの服があると、同じものを何着か買う。
でもこれでZozosuitが出来て、サイズ、好みまで登録されていたら、仮に色んな服を着るにしても、もはや自分は選ぶ必要なんてないから、オシャレを装いながら自分では一切決めていないってことが起こりうるかもしれない。
服だけじゃなくてAmazonの購買履歴、その他普段行く居酒屋、好きな本の傾向、あらゆるデータ入れておけば、一番最適な選択肢を提示してくれる。これは画期的だけど、うーん、面白くはないような。
人は普段しないことに対する後悔の方が大きい
つまるところ世界を便利にするっていうのは、日々のストレスを減らすってことだと思うけど、この選んだ後に後悔するストレスってのは結構大きいからね。
ノーベル賞受賞のダニエル・カーネマンは、「普段しないことをする後悔の大きいこと」を発表しているらしいし、感覚的にはわかる。
でもそれにしても、自分には普段しないことだとしても、データ的には別の何かに挑戦したほうがいいよって言われたら、なんか納得できる気がしないでもない。
だってデータがそういうことを示しているんだから。
まぁそもそもずっとAIの言うとおりに行動していたら、変な道に行く可能性が減るわけで、全く関係のなさそうな場所、環境にいる可能性がなくなるかもしれないけど。
後悔もなくなるけど、喜びもなくなる
でもそうすると少しどころか何のために生きているのかって気がする。
服に興味がない人は、服を選んでもらってもいいと思うけど、じゃぁファッション業界の仕事すら、あらゆるデータから世界で流行るデザイン、機能的なデザインを作り出されたら。
なんかそこに人間が介在する必要性はないような。
まぁそしたら流行りそのものが作り出されるということで、、、。よくわからん。
ただそれがベストな解だという信頼が一般的なモノになれば、ストレスのない社会、後悔のない社会で幸せなんだろうか。そんな社会になったら、また新しい価値観が生まれるんだろうか。
便利になるけど、同様に退屈にもなるような、そんな気がする。
決断をする過程を楽しんで、結果に全力を傾ける
とりあえず今のところAIはそこまで進んでいないし、何となく便利なモノを提供してくれるかもしれない程度なので、あんまり心配する必要ないんだけどね。
我々に出来ることと言えば、決断をする時は面倒くさがらずに、出来るだけその過程を楽しむこと。
そして一度決めたらその決断に全力を注いで、楽しみ尽くす事が重要なことのようです。
まぁ失敗したなと思ったら、また挑戦したら良いんですよ。
わっしょい