上司として、管理職としてやってはいけないこと記しておきます。
自分の失敗、他人の失敗、色々含みます。
含みすぎて、忖度しすぎて、色々と抱えています。
抱えていても何もおきないので吐き出しておきます。
吐き出すことで見えることもあると信じます。
責任を与えない
人は易々とは人を信頼することなどできないのです。少なくとも自分がある程度簡単にできることに対しては自分の思うように動いて欲しいものです。
だからといって、すべてに手を出し、口を出していたら、出された方はどう思うか。
かの山本五十六は言いました。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」と。
うる覚えです。
うる覚えながら良い事言うなと思います。
責任の意味を履き違える
補足にはなりますが、責任の意味を履き違えている人もいるようです。
「仕事を与えているので、その責任は部下にある」
「つまり私は責任を与えている」
そう考える人がいて残念です。
上にも書きましたが、責任を与えるのは信頼するということ。表面上の作業を振ることではありません。
気がついたように、これはお前の責任だからとか、これはお前の決断によってとか、一見格好のよい言葉を使いながら、その実は細かいマイクロマネジメントしかできないようでは、上司としては失格でしょう。
反論を許さない
自分の意見に絶対の自信を持つ人の口癖に「でも、、」「いや、、」などと、否定から入る人がいます。
また人の話を最後まで聞かない、仮に説明が不十分だとして相手に質問しないといった特徴があります。
これを立場が上の人間がやってしまうと、下の人間はもう意見など言っても意味なしと思い何も言わなくなってしまう。
意見の良し悪しではなく、意見を言わない事が常態化すると、人のお困りごとに自ら率先して動き出すなどの自立心がなくなるわけです。
こういう会社は組織としてワークしなくなります。
目的を共有しない
人に何かをして欲しいのであれば、目的が何であるかを共有すべきでしょう。
一見するとそんなん当たり前と思う人もいるかもしれませんが、細かい作業の指示だけする上司というのは結構いるのです。
しかも目的がアバウト。例えば「我々の目的は売上を10億円にすることである」。これが正しい目的かという問題。これでは不十分でしょう。
目的、目標とか、言葉の定義をここで議論したいわけではないのですが、重要なのは進むべき道を共有することなのです。
売上を10億にするっていうのは、個人で言えば「2000キロカロリーのご飯を食べる」
みたいなもんで、具体性がない。
その売上が仮に達成できていないとしたら、それを達成できるためのシステム、組織作り、環境作りのために自分達が何を目指して行くのかを共有しないと。
しかもいくら目的が良かったとしても、共有と言いながら、ただ上の人間が吠えているだけでは下の人間はついてきませんよ。
素直になれない
上司ということは人に上に立つということになるわけで、ある程度の権力を誇示したいと考える人が多いようです。
もちろんその在り方は千差万別でよいのですが、無駄に力を誇示するあまり、人の意見を何も聞けずに、自分の非を認められずにいる方が多々います。
新人でも、部下でも、その人ではなく、意見の内容によって物事を判断できる素直さをもちたいものです。
常に相手を尊敬し、尊重し、謙虚な気持ちで要るべきです。
上司のせいにする
よくいます。
「社長があのときこう言ったから、、」「本部長はこう考えるはずだから、、、」「CEOはこっちのほうが好きだと思うから、、、」
つまり上司が上司の方向を見て仕事をしているわけです。
もちろんそれ自体は悪いことではないですけど、その場面にいない人の事を考えて、それこそ忖度したってどうしようないでしょう。それならあなたの意見はどうなのですか?
少なくとも1つの案として、意見として自分達が思う最高のものを作って社長に出して、ダメ出しを貰うんであればそれでいいんじゃないでしょうか。
そうしたら今度は実際に貰った意見をベースに修正したらいいじゃないですか。
仕事するときは忖度はそっと心のうちに秘めておいてください。
一般的な正論に頼る
世の中には正論が充満しています。
正しいことだけしていたら上手くいけば何事も苦労はないわけですが、そうは問屋がおろしません。
別に犯罪を犯せとか、清濁併せ呑むなどということではありません。
例えば「お金を払ったのだから、その対価分働く、納期どおりに納めるのは当たり前である」
一見すると正しいような気もしますが、諸々の事情によって、それが適わない場合もあるでしょう。それなのに約束、ルールを嵩にきて、人を追い詰めるのは出来る上司のあり方ではありません。
そのような状況に陥った時に、ただ自分は正しいのだから「やれ!俺は正しいのだ」という人間の言葉に誰が耳を傾けるのでしょうか。
正論だから誰もが言うことを聞くわけではありません。現実社会はそこまでシンプルにはできていない。
上司としてはもっと大きな意味での”人としての正しさ”を身につけ、現実に即した対応が必要です。
ちなみにいくら正しくても人の悪口ばかりを聞いていて気持ちのいい人はいません。それはいじめの始まりです。気をつけましょう。
自分は出来ている気になっている
結局一番はこれです。
上に上げたようなことを読んで、ギクッとされる人は別に大きな問題はないと思うんです。本当に完璧な人間なんていないんで、日々修正、改善していくだけですから。
でも本当にやばい奴はこれを読んでも、自分は出来ているから問題ないと思ってしまう。
他人の色々、自分の色々を事例にとか言いながら、実はこれはとある特定の人間を題材にかいているわけです。ただそうは言っても私だってたまにやりがちなことは無きにしも非ずなわけで。
だから日々真摯に、自分のやったことを客観的に見て、耳を傾け、修正するよう精進するしかないのです。
残念ながらこの題材になっている上に立っている人にはもう教えてくれる人、叱ってくれる人がいないので、もう大幅な修正は難しいでしょうけど。
年をとるとか、昇進するっていうのは、教えてくれる人がいなくなると同義なのかもしれません。そんな寂しい存在にはなりたくないです。
最後に
部長とか、本部長とか、はたまた社長とか。それなりの規模の会社であっても、こういう人としての基本が出来ていない人が意外と多いです。
むしろそういう人たちは、利益を出すために激しいプレッシャーにさらされていたり、金銭欲に目が眩んでいたりするので、人として欠落した部分が多いのかもしれません。
下っ端で働く人達はこの辺を念頭において、人格に欠陥のある”お偉いさん”の相手をするためにはと考える必要があります。
これを偉い人はすごい人だと勘違いするとおかしなことになる。
本当にすごい人は、偉くなくたってすごいのです。
マネージャーとか、なになに長(社長とか部長とか)ってのは単なる役割の話であって、別に人に何かを矯正できる絶対的権力を有しているわけではないのです。
という事で、できるだけこういう人間には近づかないようにしましょう。
わっしょい
そんなイケてない上司にはこの本を送ります。