比較ではなく、純粋に良い、という感覚を大事にしたほうがいい

思うこと

 
この世は比較で出来ているといっても過言ではないのである。収入、身体的特徴、頭の良し悪し、比較項目に限りは無い。そして我々はその結果に一喜一憂するのである。
 
特に子供の成長に比較は欠かせない。
 
ハイハイ始めるのは何ヶ月、二語以上喋るのが何歳、九九が出来るようになったのは…。あの子に比べてうちの子は、私の子供の頃に比べて・・。基本的に子供が小さいうちはそれ程の選択肢が無い以上、比較それ自体は避けられないのはしょうがない。私もめっちゃ気にします、はい。
 
それでも私は言いたい。それなりに分別のある大人なら、比較だけでなく絶対値で見た良し悪しを語るべきだと。少なくとも比較をしているという自分を認識すべきだと。そうしないと、いつも他人の目を気にする残念で不幸せな大人になってしまいます。
 

子供世界の標準は大事。でも長い目で寛容に。

 
比較することの良さはもちろんあります。特に小さいときは、子供の異常に気づくことができたり、逆に出来ないことが普通だと気づけたりします。特に赤ちゃんから幼児となっていく過程の育て方なんて最初は知るわけ無いので、何ヶ月ぐらいから離乳食を始めたらいい、母乳をあまりあげられなかったけど問題ないのかとかは、基準と比較しながらじゃないと難しいです。
 
ただ、それがだんだん大きくなってくると個人差が大きくなる。そしてこれが気になるんです。
 
うちの子もまだ小さいのでどんどん出来なかったことが出来るようになります。動けるようになるし、話せるようになります。そうするとこれは天才なんじゃないかと思うことも一度や二度じゃないんです。でも調べてみると意外と普通だったり、下手すると平均より遅いなんてこともよくあります。
 
だからもっと長い目でみて、少し友達より出来が悪くても、1年平均より遅くても、人生90年って考えたら、まぁ誤差の範囲内なんじゃないかと思うんです。
 

オトナ世界にはびこる比較の嵐

少し話は飛躍しますがこんな記事を見つけました。簡単に言えば幸福度で有名なデンマークはそれほど”豊か”ではなく、日本は実は”豊か”なのだという話。ただそれは単にもの、サービスが整っているというだけの話を延々としているんです。

 
なぜ幸福という個人の主観を、その他いろんな指標、例えばインフラの充実度、税金、平和指数などと比較したがるのか不思議でなりませんでした。恐らく昨今の日本の問題ばかりをあげつらうメディアに嫌気が指して、日本の良さを強調したかったのだと思いますが、それにしても結論が強引過ぎます。
 
別にどんな問題だろうが、本人がそれでよしとしているのだとすれば、それでいいじゃないですか。幸福度指数が正しいかという議論は別にしても、幸せだと感じることと、それ以外のことは比較しようがないですからね。
 
大人の世界もこんなに比較して、あの人に比べて、あの国に比べてが蔓延しているのだと。あの国より仮に豊かだったとして、あなたは豊かですか、と。そりゃ子供も比較したくなります。 

これで私はいいんだ、幸せだと思い込むってのは案外難しいよ

 
ただ今を良しとして、幸せだと思うってのは難しいです。それは認めます。
ついつい比較したくなる。
 
だって1億円は大金だし、だって100点は優秀の証だもの。
欲しいです。両方。
 
でもそれが本当に欲しかったものなのか、単に誰かよりいいものを買いたい、ほめられたい、社会的に認められたい、そんな他社からの評価を感じたいだけじゃないのか。
 
 
すぐには無理だけど、それがあればそれだけで笑えるのか、その辺をもう少し考えながら生きたほうがいいんじゃないとおもうわけです。 
 
時に焦ることもあるけど、なんか無条件に、あほみたいに一緒に笑えていければいいんだろうという、ただそれだけです。
 
なんか最後はまとまりませんでしたので、もう少し考えますかね。
 
わっしょい

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