結婚はパートナー(妻、夫)を教育するという長い共同実験

子育て

どうもTarfです。
 
夫婦生活も5周年を突破しました。おめでとうございますto私達。
 
思えばだいぶ私自身生き方が変わってきました。昔は、若い頃は、もっと自分本位にやりたいことを追求して来ました。一度しかない人生、やりたいことを追求しないなんて駄目でしょ、とある意味正論を通してきました。
 
「今だって好きなことやっているじゃないか」というご指摘を私を知る人からは頂戴するかもしれませんが、家庭持っていなかったらこんなもんじゃありませんよ。ええ。
 
結婚するのだって、結局は自分がしたいから、楽しみのためにやっていた節があります。というか、世の中皆そんなもんでしょう。というか、みんなそういうもんだという自覚を持つべきです。
 
でも、結婚って言うのはずっと一緒にいるわけで、それだけ長く一緒にいたら多少なりとも我慢する部分も出てくるし、相手に合わさざるを得ないことだってあります。時には我慢できずにぶつかって、喧嘩して、時には修復不可能な事態にまで発展するわけです。

パートナーを教育していくのはながーーーい時間をかけて

当たり前といえば、至極当たり前なんですが、最近気付いたんです。パートナーへの教育というか、こちらの意図を理解してもらうには、もの凄いながーい時間がかかるということ。
 
仮にどんなに正論であっても、そうすべきであっても、元々それをしていなかった人間がそれを実践できるようになるには長い時が必要なのです。
 
まず少なくとも変えたいと思っていることに気付いてもらい、相手自身にも変えようと思ってもらい、変えるために環境を変えたり、日々の習慣を変えたりしてみて、それで次第に気持ちが納得していって、ある日普通にできるようになる。
 
1週間や、1ヶ月あれば出来るかな、なんて都合よくいくわけがない。1年とか、5年とか、もしかしたら10年以上かかるかもしれない。もちろん変わらない可能性だってあるし、もしかしたら自分の方が変わらないといけないかもしれない。 

自分の当たり前は相手の当たり前とは違う

例えば挨拶。
 
最近やっと妻が挨拶をしてくれるようになったと感じます。挨拶なんて当たり前でしょ?と思われるかも知れない。でも妻は寝起きが悪いので、朝一の挨拶が口の中でモゴモゴしているだけ。
 
これが私には不快でした。「なんで挨拶をしないんだろう?」と。
 
でも本人からしたら、モゴモゴでも挨拶しているんです。
 
ただこれをそのまま指摘しても機嫌が悪くなるばかりでした。「朝は大きな声で挨拶しよう」なんて、小学生のスローガンみたいで言うほうも、言われるほうもアホらしい。
 
でも子供の存在が大きい。子供にも同じことを言う機会が出来るんで、カドが立たない感じで、「挨拶は?」「おはよう!」と当たり前のように言える様になりました。
 
お蔭様で以前に比べたらだいぶ良くなりました。一番大きな要因はもちろん子供が出来たことだろうけど、やはりそのように仕向けることが重要なのです。

結婚前はみんな猫をかぶっている。

当たり前っちゃ当たり前。

付き合う前はそれこそ必死に相手にアピールするし、付き合い始めて暫くして結婚前ともなれば、将来に夢膨らませて、新しいことが起きる予感に胸躍らせて小さなことには気付かなくなるもの。

それでも結婚して、子供できて、なんとなく同じような生活が長くなると本性というか地の部分が垣間見えてというか、隠さなくなる。

そして猫をかぶらなくなったときにどう振舞うか。

その関係性にだけ甘える人は、相手の会話に注意を払わなくなるし、冷たい対応、発言を平気でするようになる。本来一番近しい相手にこそ一番優しく接するべきなのに。

本来は猫をかぶらなくなったときにこそ、一番近い人間に最大限の興味を向けるべきなのでしょう。

我が家の喧嘩

ちなみに我が家の喧嘩は、冷戦タイプ。
 
私は結構理屈で物事を考え、合理的に物事を進めるタイプなので、言い争いのようになっても基本的に妻には付け入る隙を与えません。妻にも言い分はあるのでしょうが、私から見るとその場限りの感情で動いていたりして、論理が穴だらけで、不合理に動いているように見えるで、私から譲ることはありません(でした)。
 
一方妻も結構な頑固屋で、基本的に相手の意見は聞かないタイプ。どちらかというと議論するのは好きではなくて、殻に閉じこもってしまう亀さんタイプなので、あまり強く言い過ぎるともう引きこもって出てこない。
 
そんな感じなので、前回は結果的にはそのまま冷戦に突入し、なんと3ヶ月近くもそのままでした。 

隙の無い正論では誰も幸せにならない

最近は理詰めで突き進めるのを改めるようにしました。(もちろん100%改められるものではないけど)
 
一見隙のない正論というのは、誰も幸せにならないし、見方によっては何ら正しくないことが分かってきたからです。今更です。私もいい大人になってまだこんなことに気付きを得ているようでは、先が思いやられます。
 
だからとりあえず悪いところだけを指摘しないで、どうしたいのかをぶつけるようにしています。
 
悪いところをぶつけないと、相手も修正のしようがないので、一意見として淡々と伝えます。(どんなに淡々と話しても、なぜか妻は絶対に機嫌が悪くなるのが面倒なんですがしょうがない。)
 
ただそれだけだと単にまた妻も引きこもって終わりなので、最後は相手に反論させて、それがどんなに理不尽でもとりあえずどうしたいかを吐き出させて、そうしようということで肯定して終わる。
 
これを何年も何年も続けていくしかないんだと思います。

最後に

仕事が大変とか、子育てが大変とか色々言われますが、なんだかんだでパートナーとの意見のすり合せが何よりも大変。

仕事なんて所詮予定調和の世界だし、子育てだって子供が小さいうちはアニマルの世話しているみたいなもので、どちらかというと肉体的なきつさが大きい。何より子供は純粋なだけで基本は可愛い。

方やパートナーとのすり合わせは、お互いの生き方をぶつける作業。しかも同じ価値観でできるわけじゃないし、相手の本性もだんだんと姿を出してくる。

まぁ要は無理ゲーを何十年もかけてやっていく感じなのです。そりゃ脱落者(離婚)も多数出ますわな。

とりあえず私も妻も一歩ずつ進んでいるようなので、何とか次の節目を迎えられたらなーと思っています。

 

ちなみに最近スマホでチェキ(以下)を購入(妻のご要望)。これで少しでも家族仲が深まれば安い投資です。

 

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