人生から不快をストレスを取り除くんだ。
そう思って生きてきた。
都会には人がたくさん居過ぎて、満員電車にぎゅうぎゅうされて、昼飯食べるのにも並んだり、給料日には銀行に行列が出来る。そんなアホで、腐った日常を見るにつけ、残念な気持ちになる。
だから自分はそこには混じらないように極力努力して、満員電車に乗らないように朝は早く、昼は弁当に、クレジットカードと電子マネーで全てを済ます。
それでもストレスをゼロにするのは不可能。
それよりも何よりもストレスを限りなくゼロに近づけていくと、人生の面白みまで削られて行くんじゃないか?
とある休日の一日。
朝から所要で都内を回る。
当然お腹が減るので、朝から晩まで外食。あまり高いものは食べられないけど、たまの外食だし美味いもん食いたいじゃないか。
朝食
デニーズ。
朝6時。こんな時間に開いているのは限られている。牛丼屋か、ファミレスか。
でもここで時間を暫くすぶさないといけない。そしたら選択肢はファミレスしか無いわな。
それにしても和食に洋食、手頃な値段で何でもござれ。席は広々してるし、2,3時間ぐらい居座ったぐらいじゃ、ファミレスの中では初心者クラス。
一晩をこの店で明かしたのだろうか、眠そうな若者が店内をフラフラと彷徨ってる。
昼食
松屋。
言わずと知れた牛丼会の雄。
昼飯だし、軽くサクッと美味いもの食べたい。ラーメン屋も検索するもめぼしい店はない。というか、ラーメンだと当たり外れが激しいから、とりあえずハズレの無いもの食べたい。
松屋のおろしポン酢牛丼がうまいんだ。しかも1コイン。よくもまぁこんな値段でこのクオリティ出せるわな。デフレ大国ニッポン万歳。
晩飯
CoCo壱番屋。通称ココイチ。
こちらもカレー屋界隈では知らぬものなし。珠玉の逸品、チキンと夏野菜カレーがこの時期は提供されるんだ。
「カレーは飲み物」どこの誰が言ったか知らないけど、それは少し誇張した表現かもしれないけど、言い得て妙。
確かに飲んでいるかの如くすすむ我がスプーン。そしてそれに煽られる我が食欲。もしかしたら”飲む”という行為の幅を狭めていたのは他でも無い自分ではなかったのかと思うほど。
こうして少し噛みながらカレーをかっこむのも、もしかしたら飲むという行為なのかと思わずにはいられない。
予定調和の世界はなんて面白みがないんだ
あれ、デニーズと、松屋と、CoCo壱番屋で事が足りてる。ちなみにその後コンビニにてデザートを買っている。
正に現代の申し子。いずれの店でも待ち時間は無いに等しく、商品のクオリティの高さに関しては、下手な高級店のそれを容易く上回る。
しかも、どれも巨大資本が運営し、全国にチェーン展開していて、ここでしか食べれないものではない。更に言えばどの店を利用したのも初めてではない、つまり味は既に保証されている。店員の対応にそこまで不快にされることはなく、他の客も勝手知ったる庭で突飛な行動をするでもない。
そう、それは予定調和の世界。
折角の休みに、一日食べたいものを食べれるというこの機会に、この選択をしてしまった私は勝ち組なのか、果たして稀代の負け組なのか。
「人生において食事の回数は限られている。少しでも美味しいものを食べたい。」
そんな事を思った気もする。食べることは好きだ。恐らく世間における食事への熱量を100とするなら、私のそれは125ぐらいである。知能指数で言うと、東大生ぐらいだ。
私の食事への思いはそのぐらい高かったはず。それなのに、こんな侘び寂びの無い食事をしてしまうなんて。
全てを受け入れる愛が足りないのだよ
ストレスは忌むべきものだ。最大限無駄を排除し、効率的に、合理的に。でもその先にあるのは無だ。ナッシング。何もない。負荷も無ければ、喜びもない。それが俺の求めていた人生か?
否。
もし新しいレストランに挑戦して、不味かったら?
もし名もない食堂のおばちゃんの対応が不快極まりなかったら?
恐るるなかれ。
そんな新しい経験にこそ人生の醍醐味が隠れているはずだ。
コンビニは便利だ。松屋はうまい。24時間我々の傍に寄り添ってくれる。
でも世界がそれで埋め尽くされたら。そんなつまらない世界はない。
無駄を、ムラを、無理を、こいつらを愛する勇気を持つのだよ。
わっしょい