最近立て続けにオンラインサロン?といわれるものに2つ入って、一つはすぐに脱退して、もう一つはまだ残ってはいるかど、どうかなーと思って続けるか悩んでいる。
個人的にはオンラインサロンの形式は合わなかったと気づきながら、やはり直接人と話すことの重要性を最近身にしみて感じている。
直接本音を語れる人と時間を持つ
結局これに勝るものない。
一人でも、本音をぶつける人がいればそれが最高の時間になる。
ただそんな人は本当に少なくて、昔の友人は価値観がずれすぎてて、今の仲間はちょっと近すぎてあんまり深い話はできない。
話したい相手がいたとしても距離的に遠いところにいたり、忙しくてなかなか時間をとれなかったり。
でもだからといって、諦めることはない。
ふとしたところに同じ価値観の人はいるし、別に本音をぶつけられれば価値観が同じである必要すらないんだ。
流行りのオンラインサロン
では流行りのオンラインサロンはどうか。
実は冒頭の通り2つに結果として入会している(お金払った)。興味の方向性とか、会の方針みたいなものにはもちろん賛同していた。
Facebookはオンラインサロンには向いてない
最初のオンラインサロンは使っている媒体が主にFacebookで、これが自分としては苦痛だった。
Facebookにはもちろんグループを作って、会を運営するような機能があって、それを使えば何とかなるのはわかるんだけど、あまりFacebookの使い勝手はいけてないんじゃないかと思う。
友達と繋がって、たまに”いいね”し合うぐらいだったらいいけど、あのスレッド形式の場所で意見言い合うとか見づらいし、管理もし難いと思う。
最近はFacebookそれ自体からも距離を置いていることもあり、これはストレスでしかないと思い退会。何事もストレスを人生から減らしていくのは重要。
運営、ファシリテーションが難しい
そして2個目のオンラインサロン。これはまだ続いている。
ただ非常に価値観は合うし、主催者はエネルギー溢れる方で魅力的なんだけど、この主催者はそれなりに有名な方なので、その人を崇拝する雰囲気みたいなものにいまいちついていけない。
あと10歳若かったら違ったのかなとも思うけど、自分の性格を鑑みるに、10年前だったらむしろ強めに噛み付いていたかもとは思わずにいられない。
あと、これは難しいところではあるんだけど、”みんな仲間”みたいな発言。本当に”仲間”ならいいんだけど、まだ海のものとも山のものとも分からないうちから、会に入っただけで仲間って、、、、。
オンラインにおける批判しあうことの重要性、難しさ
さてその中で映画の話題があがった。
かなりのマイナー映画である。
実は私もこの作品は見たことがあって、その映画の扱うテーマ自体(消費社会へのアンチテーゼ的な)は自分自身も興味のあるところではあったんだけど、作品としてはそこまで面白いとは思えなかった。
確かにメッセージ性の強い作品で、そのテーマ自体は別に良いんだけど、やはりそこは映画。映像作品として面白くなかったらどんなにメッセージが素晴らしくともダメだと思う。
でも、そのオンラインサロンでは、なんかその面白さ云々ではなくて、いいよねー、いいねーみたいなやり取りが続いていて。本当に面白いと思ってるんだったらいいけど、この場合の”いいね”はどこに対して向かっているんだろう。
なんかもっとちゃんと批評して欲しい。ここは良いけど、この辺はダメだとか。
好みを語り合う。そこはオフラインのつながりで。
もちろんこの辺の難しさはわかる。面白いと思う人にとったら、あそこがダメ、ここがダメって言われたら気分良くない。
しかもダメだし合戦したら、そこは反省好きな日本人。いくらでも重箱の隅をつつくように言い合える。
それはわかるんだけど、ただ表面的に「いいよねー」「そうだよねー」って全然面白くない。せめて「xxの表現って凄いよ」とか、せめて「あの俳優のしぶい顔が好き」とか好みの発表があっていい。
その点直接顔と顔をつき合わせた議論では、「好きじゃないんだよねー」と軽い感じでいえるし、それに対する反応も「いや、私は好きだなー」と言い合える。
オフラインで、利害関係のない他人が一番楽だ
とこの辺まで書いて、ということはこの2つ目のオンラインサロンも自分には向いてないのかということに気づきだした次第。
ある程度やらないと本質は分からないとは思うものの、どっぷりやるまでもなく先が見えた感じがしてしまった。分かった気がしてしまうのはそれはそれで考え物ではあるけども。
結局のところ、自分の本音を外に出して、それに自分で気付くというのが重要なわけで、だったら飲み屋で隣に居合わせたぐらいの関係でもいいのかもしれない。
まぁ問題は飲み屋に一人では行かないし、いきなり隣の人とそんなに打ち解ける技術も度胸もないってことなんだけど。
わっしょい