「木材」へのきっかけは1本のスプーンから

ものづくり・建築

木を削る

 

モノづくりをしたいと思ったことはありませんか。

子供の頃はみんな当たり前のようにモノを作って、それで遊んで、純粋なモノづくりの面白さを楽しんでいたはずなのに、残念ながら大人になると、その面白さよりも面倒さの方が勝ってくるようです。

実は私も少し前までは、モノづくりを面倒くさがる側の筆頭のような人間でした。新しい服、新しい電化製品を探し、生活を便利に、豊かにすることばかりを考えていました。作るなんて、せっかくの休日をそんな非合理的な行為に費やすよりも、自分にはもっとやることがあるんだと思っていました。

でも次第に買いモノでは満たされなくなってくるんです。買っても、買っても、歯抜けのジグソーパズルみたいに達成感が無くて、ただ買う作業自体が義務になっていました。「誕生日だから」、「新製品の発売日だから」。理由をつけて買うことのみが目的化するのです。

妻からのリクエスト

そんなある日、妻からリクエストがありました。


「ジャム用のスプーンが欲しい」

また買い物の時間です。聞けば深い瓶の底のジャムがすくい難いのだそうです。 

ここでふとある可能性が頭をよぎります。

「作った方が早いのでは」

もちろん買うのは簡単です。でも望み通りのものを探し当てるのは案外難しいものです。

しかし今まで何も作ったことがない私には、モノを作るスキルも経験も何もありません。でもたかがスプーン一本。これが例えば、自転車が欲しいとかだったら、自転車を自分で作ろうとは思いませんが、スプーン一本ぐらいなら何とかなりそうな気がします。調べると、木工講座では半日でスプーンぐらいは作ることができるらしいのです。

木工という選択肢

向かった先は、都内の閑静な住宅街の木工所。

外からは普通の一軒家にしか見えませんが、 家に入ったときから、木の香りに溢れています。

木工スペースは地下にありました。下に降りると目の前には大型の機械が置かれていて、壁にはトンカチ、ノコギリなど見知った道具から、ありとあらゆる工具が掛けられています。何だか秘密基地のようで胸踊ります。

さて、木材を選んだら、さっそくノミで削っていきます。

木は意外なほどに堅い。実はもう少しスムーズに削っていく自分の姿を想像していたのですが、使用する木材を選ぶ際に、堅い木の方が長く使えること、また色味も良いということで堅い栗の木にしたのです。

普段はモノを作るどころか、手書きをすることすら稀な柔な手で、ゴリゴリと音を立てて鑿(のみ)で削り込んでいきます。

さらにスプーンの柄の部分は親指大の鉋(かんな)で削り出します。こちらはしゅっ、しゅっ、と滑るような小気味よい音を立てて削れていきます。ただ少しでも木目に逆らうような削り方をすると、さっきまでの滑らかなすべり具合が嘘のように、がりがりっと嫌な音を立てて、やすやすとは削らせてくれません。

「ここの長さはこのぐらいの方がいいな」「ここのカーブはこのくらいかな」などと頭にはどんどんイメージが膨らんできます。これまでは何か商品に対して「この商品はこの辺の作りが雑だな」とか、「なぜここに変な凹みがあるんだ」とか文句を言いながら使っていて、納得いかないと新しいモノを買っていました。

でもこうやって欲しいものと、一つ一つの作業を丁寧につなげていくと、バラバラだったジグソーパズルが埋まっていくみたいにすっきりしてきます。仮に変な凹みが出来たとしても、あばたもえくぼ。その凹みが出来たストーリーも含めて好きになれる気がします。

「削る」は気持ちいい

作っていて気づいたことがあります。モノづくりの結果に期待するのも良いけれど、とにかく”削る”は気持ちが良いということ。

一刀で削れる範囲は長さ数センチ、厚さ数ミリの小さな範囲。この作業を何十回、何百回と繰り返します。少しずつ、本当に少しずつ自分のイメージに現実が追いついてきます。

それは既に在る形から不要と思う何かを少しずつ削ぎ落としていく行為です。何かを足すのではなく、引いていく行為。それはよりシンプルで、欲しいモノを作るというより、欲しいものは何なのか探すような、そんな行為のような気がします。

表面は薄汚れていても、削ると木目が露わになります。削るとその木の本当の一面が顔を覗かせるのです。だから“削る”は気持ちが良いのです。

削るの先に違いが見えた

木を削ってみると、木そのものの姿が見えてきます。それは木目であり、堅さであり、色であり、その木の性格のようなものでしょうか。

木というと、杉とか、ヒノキとか、花粉症の時期にしか話題にならないかもしれませんが、実は木の種類というのは多様なんです。ケヤキも、栗も、桜もあります。普通の人は名前も知らない木も多くて、それぞれに特徴があります。しかも同じ木だって産地によって、部位によって特徴は変わるのです。

そんな木の隠された一面を見てしまうと、普段何気なく見かけていた道にも、公園にも意外なほどに多くの木があることに気付きます。

「この木はどんな性格なんだろう」

「なんでこんなに大きく曲がっているのだろう」

「何十年、何百年この場所にいるのだろう」

目の前の公園には、大きな木が何本も見えます。樹齢は百年?二百年?

百年前って言ったら大正時代。二百年前って行ったら江戸時代。この木はちょんまげ姿の侍を見たことがあるんでしょうか。考え出すとわくわくしてきます。

百年後の未来を考えるのは難しいし、多分自分はいないかもしれないけれど、この木はもしかしたらいるんじゃないか。そんな想いも頭をもたげてきます。そんな風に木の立場、時間軸で物事を捉えるようになると、日々の忙しない生活にもゆとりが持てるような気がします。

最後に

ちなみに私の作った最初のスプーン、実は少し不格好に仕上がりました。

でもそんなブサイクな処女作にも、妻からは「意外によい」と上から目線のお褒めの言葉を頂いたんです。 自分のためのモノづくりも良いですけど、やはり誰かのために作ってみるのは格別のモチベーションになりそうです。貰った人がモノづくりのストーリーを感じてくれる、これもモノづくりの大きな醍醐味かもしれません。

 

木を好きになる方法

1 木の食器を増やしてみる

2 木を削ってみる

3 自分の住む街で一番大きな木を見つけて、その歴史に思いを馳せてみる


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