貧乏性。
決して褒め言葉ではないことは周知の事実だけど、モノは言い様とはよくいったもので、会社だとコスト削減とか、効率化、最適化とか、そういう何だか一見すると正しそうなものに姿を変えて我々に囁きかけてくるわけ。
しかもそれを囁くのは部長とか、本部長とか、何やら大層な肩書をつけた人が、それこそ賢そうに、厳かに言うもんだから、これが何だか神々しいまでの信憑性を帯びて我々の思考を奪って信じさせようとしてくる。
これはもはや宗教以上に宗教で、100年、200年後の世界では、あの魔女狩り裁判ぐらいに歴史的負の遺産として、「当時の日本という国にいた、部長、課長、社長という人種により、人々は非人道的な、、、」等と語り草になるんでなかろうか。
ご近所の部長さん
どうやらご近所さんの部長は部内の改革を断行している模様。断行とか言うとこれまたかっこいいんだけど、ただそれも言い換えると、ご乱心とか、好き勝手暴れているとか、これも色々と言い様はあるんもんで。
まぁ他の部長がほぼほぼ無能な方々なんで、この独断っぷりも見る人によっては何だか格好良く見えるんだろなと思えなくもないという。
しかもこの部長は出身が東大で、誰も箔でもロジックでも勝てないらしい。いい歳こいて出身大学もないと思うのだが、それはまぁ本人には関係ないか。
確かにこの貧乏性部長がやろうとしていることは至極真っ当な、普通の事だったりする。問題はその進め方とか、コミュニケーションのあり方だったりするんで、まぁやたら自己主張が激しい弊社に関しては色々と難しいという点には同情はしますが。
給料の高い事務職は悪か。
さてその改革の中に、長いこと同じ業務をしてきた事務の女性の稼働率を上げるというのがあるらしい。
この女性、勤続年数はやたら長いので周囲も驚くお給料を貰っているらしい。具体的にいくらかは知らないが、驚くぐらいのお給料って、驚くべきものなんだろうね。
それなのに、同じ作業を淡々とこなしているだけなので、この部長さんはこの給料に見合った仕事をしろと、今までに経験したこともないようなマーケティング業務をお与えになっているのだとか。(ちなみに給料を下げるという選択肢(システム)はこの会社にはないらしい)
なんだかどこにも似たような話はあるような気がするのだけど、そもそもこの方は真面目に粛々と自分の業務を続けてこられたわけです。それを上が変わった途端いきなり悪者にされてしまってこれはこれで悲劇だなーと思わずにはいられない。
事務仕事は価値のある仕事か
やたらとこの貧乏性部長は、「ワレワレは価値を生み出すのだ。のだ。給料以上の仕事をするのだ。のだ。」と声高に叫んでいる。
ただそもそも事務仕事で価値のある仕事ってなんやねんって話で。そんなん言い出したら、私の業務も、隣で働いている人の業務も現在の技術があれば8割方自動化できる。そしたらその部長の管理業務もなくなるんよ。
現在のその仕事がどれだけの価値があるのかは知らんけど、それを言い出したら裏方の事務職なんて似たようなもんでしょ。
この部長だって、自分はそれなりに価値があるって思っているかもしれないけど、もしかして大きな流れの中だったら社会にとってはマイナスかもしれないわけで。
ちょっと以下の記事とは部長の種類が違うような気もするけど、根は同じなんじゃないか。
結局みんな自分を正当化したいだけ。みんな自分が可愛いんだな−。
彼らは普通に仕事が出来る人たちである。そのはずだが、なぜ、この件については思考停止しておバカさんになってしまうのだろう。
発想が貧乏性ってのはこの日本に巣食う魔物
私も、あなたも、心の奥底はこの貧乏神に占められている。
日本には「Mottainai」という素晴らしい言葉があるのだ。というストーリーで正当化されるんだけど、それとこれとは話が違うぜ。
なんか仕事をさせる発想が、「コンチクショーめ。俺はこんなに働いているのに。」「あいつは楽してこんな給料を!」みたいに人を貶める方向に行くのはなんとかならないもんか。
囚人のジレンマというかなんというか。
暇な人には好きなことやらせてみたらええんじゃないか
もう時間空いているなら、むしろすべての事務仕事を取っ払って、こんな新しい案件とか、楽しい事案とか。本人の好きなことやらせたらいいんじゃないか。
前職では暇人なんていなかった。だからこんな暇人がたくさんいて、それなりの利益が出ている会社ってのは不思議でしょうがないんだけど。
だったらその暇人達を自分の好きななにかに没頭させてみたら10に一つとは言わないまでも100に一つくらいは新規事業が生まれてくるんじゃないか、と。
そりゃ今まで事務しかやっていない人にそれは難しいかもだけど、それは人のケツを叩くし可能のないこの貧乏性部長も同じ。
とりあえず人の悪口ばっかり言うような人間にはなりたくないと思う今日この頃です。
わっしょい