原因は明確
断然今の方が楽
前まではブログテンプレートの如く、世の中に価値を、お役立ち情報を、って息巻いてたけど(言うほどじゃないけど)、別に面白くも無い文章書くのってしんどい。
タイトルにはキーワードを、画像を取り入れて、、、。
最初の方こそ、「ほう、ブログらしくなってきたじゃないか」なんて思ったりもしたけど、なんか就職面接で、無駄に自分を誇張するみたいに、「私はこれが出来ます!」「サークルではリーダーとして!」とか言うみたいに、気恥ずかしいというか、嘘ではないけど、そんな声を張るほどでも、って思うこともあったりする。
それに比べて今の書き方の方が、すらすらと書けるのがなんか心地いい。
もちろん最低限の読みやすさとか、構成は考えてる。一応。これでも。
アウトプットから見えてくるモノの方が大きい
書きやすい書き方をしたからって、文章に価値がないかというわけでもなく、後は私の文章力の話になってくる。
だから後は地道に、純粋に、粛々と書けるように研鑽に積んでいけばいい。
そしてそれには時間がかかる。
単に本を読んだり、学んだりすると、一時的には賢くなった気がするんだけど、使わなければ廃れるし、忘れる。でもその一時の無双感にみんなやられてる。
インプット業界が廃れない理由だ。自己啓発本に、習い事、世の中には新しいインプットの誘いが五万とある。
でも、やっぱりアウトプットの時間を持たないと。
とりあえずは一年続けていく。
幸か不幸か、今はそれなりの時間が取れるようになったので、毎日1時間程度の時間をこれに費やせる。
数字を追い求める意味は大きい
というわけで、書き方を改めるわけでもなく(レベルは高める)、SEO対策に力を入れるわけでもなく、淡々と毎日をこなす中で見えてくるモノを見てみるのだ。粛々と文章としての改善に力を注ぐと、そういうわけだ。
例えていうなら、面接対策して有名起業に挑んでいく意識高い系大学生に対して、私はラーメン屋でアルバイトをしながら、いつか自分の店を持つことを夢見る雑草系の住人になるのだ。
ただアクセス数、PV数も大きな要素になるわけで、それはそれで気になる。
気になるもんはしょうがない。
夢見る雑草系だって、実はテストの点数が気になるんだ。
せめて一度ぐらいは100点とりたいじゃないか。
無理に見ないと思えば、逆に気になるというのが人間の性。
ならばあえて見てやる。
凝視してみるというのも一興。
わっしょい