複雑なものは心地良い。でも時間はかかる。

思うこと

ブログが久々になってしまった。久々なのにか、だからなのか、とりあえず思ったことを吐き出しておく。

複雑系って心地いい

まぁ何が言いたいって、それでもいろんなモノが、人が少しずつ何かを変えて、影響を与えて、失敗を繰り返して作るものは、結果的に最適な何かになるものなんじゃないかと思うってことだけなんだけど。
 
複雑系って何って話は専門家にお願いしたいけど、要は物事が複雑に絡まりあって、全体としてのあり方は個別の要素を観察しても想像がつかないってこと。そういうこと。
 
たまに混同されているような気がするけど、複雑系は雑多なものだったり、色んな要素が絡まりあって予測不可能なものであって、問題を無闇矢鱈に難しくすることじゃない。 結果的に相互が結びつくその関係性が重要。

 

ちなみにもう10年以上も前にこんな本を読んだ。
 
 
このときに初めて複雑系っていう学問があるのだと知って、細部はわからないなりに、あー世の中って面白いんだと感じたのを今でも覚えている。
 
例えば雑多な街の感じとか、動植物が入り乱れる森とか。
 
森は数千、数万年の時を経て作られるわけだけど、街にだって複雑系は存在する。我々が完成したと思っている物体、コミュニティだって実は相互に影響しあっている途上のものであり、コトなのだと思う。
 
例えばここ東京だって、10年前とは微妙に違うし、50年前たてば、それは全く別物の時代。すっごいリーダーとか、有名人が出てきて、何かが変わるかも知れないけど、そんな単発の変化よりも、日々そこで生きる人がどう反応するか、そこにこそ街の面白さがある。 

単純な世界は生き易くてもつまらない

一見すると、世界の優秀な頭脳が、莫大な資金で作り上げた何かは、素晴らしい物のように思われるけど、それは刹那的で、一瞬の輝き。
 
それが本当にいいかどうかは、人間軸では数十年、自然界軸では数千年っていう時間の流れが必要なんだろうなーと思う。
 

その最たる例が中国

最近中国に仕事でよく行く機会があるんだけども、ここ中国にはその複雑系がない。まぁ実際にはいろんなモノがあって、人がいるから複雑系はあるんだけど、その度合いが少ない。
 
正確には二つの理由があって、国が大きすぎるので雑多感を感じるほど密集していないこと。もう一つは政府が大きすぎるので、方向性が統一されすぎていること。
 

中国はすごい

あまり中国に馴染みがない人は知らないかもしれないけど、ここの国はスゴイ。日本の方が技術が進んでなんて、もはや過去の話。
 
もちろん細部を見ると、サービス、改善が行き届いていないところはあるけど、”新しいもの”の量と比率は日本のそれより段違いに多い。
 
もちろん地方に言ったらそうじゃないけど、それは日本も同じだからね。あくまで比較は中国、日本の都市部。
 
でもなんか心地よくない。それは文化の違いとか、言葉の違いとかあると思うけど、そうかこの国にはまだ多様性が、複雑さ生まれてないからなのか。

中国は羨ましい

政府が決めたら、議論の余地なくそこへ突き進む。
 
日本は何するにもアホみたいに時間がかかる。そして時間がかかったからといって別に最適解にたどり着くわけじゃない。
 
でも過度に政府が介入した姿には何も面白みを感じない。
 
高層マンションが立ち並び、街路樹が整然と並び尽くす。ショッピングモールの横には似たような商店が所狭しとしのぎを削る。
 
別にわたし個人の好みなので、どちらが良いという話じゃないけど。
 
まぁ中国もやっと途上国から先進国になったばかり。あと数十年、数百年したらまた別の顔を見せてくれるかな。

最後に

私ははこの単一で人工的なものの中には身を置きたくない。

既に複雑系として成熟された環境にいたい。

そういう意味では東京ですら、まだまだ都市としては未熟で、発展途上。
 
早いとここんなとこは抜け出して緩い複雑系の中に身を置きたい。
 
わっしょい

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