おすすめ本:侍は現代のサラリーマン。Audibleで聴く壬生義士伝。

本・映画・Audible

どうもTarfです。

Audibleでまた面白い作品をGetしました。壬生義士伝、浅田次郎作。

[amazonjs asin=”B015Z0DUFG” locale=”JP” title=”Audible (オーディブル) 会員登録 – 無料体験期間1カ月”]

実は映画も見ましたし、本も確か読んでたと思います。細かい内容は覚えていませんが、ざっくり新撰組の話だったな、とは覚えていました。

それでもAudibleやってくれます。歩きながら聴いていると泣きそうになります。電車で涙流すサラリーマンがいたら、さぞや気色悪いことと思います。気をつけます。

壬生義士伝をAudibleで聴きました

 

話は幕末と幕末から数十年後(明治?大正?)を行ったりきたりして話しが進みます。主人公は新撰組隊士、吉村貫一郎。近藤勇でも沖田総司でも土方歳三でもなく、吉村貫一郎。天皇のためでも、新時代のためでもなく、ただ愚直に家族のために人を切り続けた侍の話です。

そして当時の新撰組の状況、幕末の状況を、やれ尊王がいいだとか、開国すべきだというような視点ではなく、あくまで後世から振り返ったときにどうだったという客観的な視点で描いています。

また設定はだいぶ異なりますが、吉村貫一郎という人物は実在したようです。

もちろん小説なので、実際と違うところは多々あるでしょうが、よくよく当時の状況に思いを馳せれば侍も大変だったんだよな、そのときの新撰組の立場はどんなもので、どのように感じたかなど、描写には共感できる所が多いです。さすが浅田次郎氏。

そしてそのような侍、士道第一主義の状況に疑問を抱く、吉村貫一郎のような男がいても不思議ではないと思うのです。

吉村貫一郎は誰よりも、侍の中の侍であります

[amazonjs asin=”4167646021″ locale=”JP” title=”壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)”]

侍は現代のサラリーマン

読めば読むほど、当時の侍は現代のサラリーマンと同じだなと思わずにはいられません。正確に言えば、当時はお国、殿様に仕えるのが、侍、士、の務めですから、現代で言えば公務員、役人がそれにあたるわけです。

侍はとにかく体面が大事。外から、他人からどのように見えるか。本音より、建前。合理的な理屈よりも、士道とは、侍とは格あるべしというような、慣習と規則に縛られた生活。

現代も、スーツに身を包み、ネクタイをビシッと決めて、上司にはこのように、取引先にはこのように接するべしと、戒律のような慣習がびっしりとあります。

切腹にみる責任を取るという文化

そして一度ミスをすれば、まるで鬼の首を取ったように責め合い、謝りあって、誰の責任云々というような議論に終始するのです。これが幕末だったら、やれ切腹、切腹とせっつかれたのでしょう。

別に切腹したって、問題が解決するわけでもないし、何ならその儀式に面倒な手間がかかるのに。

問題の解決ではなく、このやたら責任を重んじる風潮、文化は、既に江戸時代には確立されていたようです。連綿と続く悪しき日本の慣習といったところでしょうか。

新撰組は新手のイケイケStart up

さてそんな時代に颯爽と現れた新撰組という人切り集団。当時も新撰組側についている人は彼らにジャニーズのような憧れと、期待を抱き、反対側の人間にはいわば半グレ集団(チンピラみたいなもの)のような印象を与えていたようです。

ただ作中の新撰組の描写を現代に置き換えると、彼らが侍という名の公務員に憧れに憧れた、無職、フリーターの集団のように思えてなりません。そして彼らは優秀であるがゆえに、彼らだけで組織をつくり、幕府に召抱えてもらう、つまり現代で言えばStartupを作って、大企業に買収してもらうような感じでしょうか。

そのため彼らは自分達に非常に厳しいルールを定めています。なぜなら彼らは侍以上に侍でなければならないからです。侍以上に士道について興味があったわけです。

例えば局中法度と呼ばれる新撰組のルールには以下のように定められています。

一、士道ニ背キ間敷事
武士道に恥じる行為をしてはならない)
一、局ヲ脱スルヲ不許
(新撰組から抜けてはならない)
一、勝手ニ金策致不可
(無断で借金をしてはならない)
一、勝手ニ訴訟取扱不可
(無断で争い事を裁いてはならない)
一、私ノ闘争ヲ不許
(個人的な戦闘をしてはならない)
右条々相背候者切腹申付ベク候也
(以上いずれかに違反した者には切腹を申し渡す)

Wikipediaより

まぁルール自体は、ふーん、ぐらいなモノかもしれませんが、特質すべきは最後の括弧内、”違反した者には切腹を申し渡す”という一文でしょう。

もちろん一般的に切腹という文化はあったと思いますが、新撰組ほど頻繁に切腹をすることはなかったでしょう。それはそうです。だって普通の藩(今で言う国、会社)で切腹=首切りを繰り返していたら、人はいなくなるし、そんな組織はみんな嫌気が差すわけです。

でもここはStartup。最初にうちは厳しい組織ですって謳っているし、実際集まるのはめっちゃ優秀な人間もいれば、箸にも棒にもかからない不良も来てしまう。採用面接なんてしている余裕は無いから、とりえあず入れてみて、ダメそうだったら粛清するし、使えそうならどんどん給料弾む。

いつの時代もやっていることは変わりません。

江戸から明治へ、アナログからデジタルへ

そしてこの作品の面白いところは、幕末から数十年経ってから振り返っているところ。幕末から数十年も経てば世界は様変わりしているわけです。

幕末当時はちょんまげに、刀をぶら下げて侍が闊歩していたのに、大正時代ともなれば実際にサラリーマンなんて言葉まで登場する。殿様のために働くんじゃなくて、普通にみんな勤め人になるわけです。汽車まで出来て、移動時間は大幅に短縮。

ただ生活が便利になった反面、その便利すぎる状況にわびさびを感じられないと、また最近の若者は我慢を知らないと、江戸時代を知る老人は嘆いてみたり。

現代においてもアナログからデジタル化の波に従い、どんどん生活は便利になれどそれに疲れる人間が現れたり。年配の人はその波に乗れずに取り残されてしまう。

 

侍のように華々しく散りたい願望

思えば、当時も現代もみんな侍(サラリーマン)という名の武士道に憧れて、でも実際の侍生活(サラリーマン生活)に疲れてしまう。だって武士道はなんか格好良くて、士道という道を一歩ずつ前に進めば、まるで聖人君子にでもなれるような錯覚が得られます。まぁ実際は意味のない外面ばかりを気にする毎日なんですが。

そして本当はやるべきことをやればいいはずだけど、それが出来ない人、出来ない時のためにルールを設けたら、そのルールを守ることが一番重要になってしまって、本当にやるべきことが何なのかわからなくなってしまう。

そして切腹ヨロシク、最後は華々しく散るのが良いというような、変な慣習だけクローズアップされて残ってしまうんです。そこじゃないだろ、とはみんな思っているはずなんですけどね。

まとめ

個人的な話になりますが、昔は坂本竜馬が好きでした。当時の侍社会という今よりも形にとらわれた社会にあって、あの行動力、先見の明を発揮できるのは素晴らしいと思っていたし、そうなりたいとも思っていました。

今でも坂本竜馬は好きですし、凄いなと思いますが、でも最近は新撰組に共感するようになりました。

上で述べたように、私のような一介のサラリーマンからすると、新撰組の方が断然共感できるわけです。ソフトバンクの孫さんが坂本竜馬好きなのは知られたところですが、新しい海へ次から次へと漕ぎ出せるあのような方には良いと思いますが、私のような一端のサラリーマンにとってはなかなか真似の出来るものではありません。

まぁ新撰組だって言っても剣豪が集まった、出来るやつの集団なので、そこを目指すのもなかなか大変ですが、それでもそのマインドは分かります。

とりあえず愚直に、自分の信じる道を生きたいと思います

わっしょい


タイトルとURLをコピーしました